なぞる

なんか書いたやつ

可能性と軌道

まみの白い机は夢にあらわれて「可能性」と名乗った。アイム、ポシビリテ
 
可能性。ソフトクリーム食べたいわ、ってゆきずりの誰かにねだること
 
可能性。すべての恋は恋の死へ一直線に堕ちてゆくこと/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
 
 穂村弘の「可能性」がすごく好きだ。一首目、まみが手紙を書いている机が、ほむほむの夢にあらわれる。様々な手紙を生み出す可能性を秘めた机は、一方で、夢の中にあるから、様々な机の可能性の中の一つに過ぎない。「可能性」という語が、事後的に成立するものや未来に向かうものを含めた、幅広い表現で表されている。「アイム、ポシビリティ」の「アイ」の曖昧さによって、机だけでなくすべての主体を「可能性」として表しうることを示唆している。二首目、可能性の一つとしての、シチュエーションとして提示される、まみの行動。ゆきずりの誰かにそうねだっても別に良いし、そういう情景があっても良い。ゆきずりの誰を選ぶかもさまざまな可能性から選び取られたものだが、それは多分選定したのではなく、たまたま「誰か」を選んでしまうという形で、事後的に可能性が浮かび上がる。三首目、すべての恋が恋の死に堕ちてゆくならば、その言明の内部においては、複数の選択肢はない。さらに堕ち方もまた、一直線であり、他の軌道は描かれない。しかし、主体はそのことに可能性を見出している。必ず、すべてのものがそうなるというのもまた、100%という意味での可能性ではあり、可能性が不可能性と表裏になっていることを示している。輪郭が広がっていくものも、鋭く閉じているものも、可能性という語でまとめてしまうのが、とても鮮やかだと思う。
 
 
おにぎりをソフトクリームで飲みこんで可能性とはあなたのことだ/雪舟えま『たんぽるぽる』
 
 おにぎりをソフトクリームで飲み込むのはわたしかもしれないし、あなたかもしれないし、それとも想像上の何かかもしれないのだが、そのなんでもありな感じの可能性をあなたと言い切る姿勢には、すごく好ましい要素を受け取ることができる。しかしそのあたたかい感じの裏では、「可能性とはあなたのことだ」と突き放しているような印象も受ける。穂村弘の歌では、可能性のあとに続く言葉との関係性を明示していないが、雪舟えまの歌は、よりはっきりと可能性を定義する感じの言い方だと思う。拡散しそうな可能性が、あなたの内部に閉じ込められる。
 穂村弘の歌への返歌としてこの一首を鑑賞することもできる。アイム・ポシビリティと名乗ったまみの机も、ソフトクリームをねだったまみも、すべてはあなたが作り出したものである、と言っているのだとしたら、ここに主体としての作者を見ることができるかもしれない。
 
 すべての恋は、一直線の軌道を描きながら、恋の死へ堕ちてゆく。飛行機雲がぼくには見える。それが美しいとぼくは思っている。

東田直樹「夏の気分」鑑賞

 僕たちは、おかしいほどいつも、そわそわしています。一年中まるで夏の気分なのです。人は何もしない時には、じっとしているのに、僕たちは学校に遅刻しそうな子供のように、どんな時も急いでいます。
 まるで、急がないと夏が終わってしまう蝉のようなものです。
 ミンミン、ジージー、カナカナと泣きたいだけ泣いて、騒ぎたいだけ騒いで、僕たちは時間と戦い続けます。
 秋になる頃、蝉の一生は終わりますが、人間の僕たちには、まだまだ時間は残っています。
 時間の流れに乗れない僕たちは、いつも不安なのです。太陽が昇って沈むまで、ずっと泣き続けるしかないのです。/東田直樹「夏の気分」『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』
 
 
 
 水の中にいれば、静かで自由で幸せです。
 誰からも干渉されず、そこには自分が望むだけの時間があるのです。
 じっとしていても、動いていても、水の中なら時間が一定の間隔で流れているのがよく分かります。
 僕たちには、いつも目や耳からの刺激が多すぎて、1秒がどれだけで、1時間がどれだけなのか見当もつきません。/同「どうして水の中が好きなのですか?」
 
***
 
 「夏の気分」というのは例えば厳しい太陽の日差しのことや、アスファルトの匂いや、アイスの味などを想起する、極めて広い概念である。だけど、そのノスタルジックな感じは、そわそわしている理由として、なぜか納得してしまうような、つながりかたをしている。
 
 それが、二行目で蝉にフォーカスがあたり、そして蝉は「急がないと夏が終わってしまう」生きものだと言い切られる。その言い切りというか、前提についていけないのだが、三行目で、より詳しく説明される。蝉は、泣いて、騒いで、時間と戦っているのだと言う。それはおそらく時間が短いからではない。時間の流れに乗れないからだ。
 
 筆者は水の中ならば時間の流れがわかるというが、蝉は水の中にいることができない。だから、蝉は一生が短いことを知りながら、その短さがどれくらいかもわからず、不安で泣いているのだ。あるいは、泣くことを通じてどうにか時間感覚を掴もうとしているのだ。それは一つの戦いである。
 
 人間の僕たちは、蝉が死んだ後もまた時間が残っているから、泣き続けるしかない。そこで持ち出される、太陽が本当に効果的だ。それは、眠れば時間と戦わなくて良いということなのかもしれないし、太陽が人生の比喩なのかもしれないのだが、大事なのは太陽というのは、時間を示す記号でもあるということだ。時の流れを示すはずの太陽が出ている間、泣き続ける「僕たち」。その中から、太陽の輪郭が沈むように、自分がキュッと締め出されてしまう感覚が好きだ。
 
 東田直樹はとにかく比喩が巧みな作者だと思う。比喩の上に比喩を重ねるような書き方なのに、説得させられてしまう、あるいはASD者の身体感覚に近づけるような感覚になる。それが、東田の比喩の力だと思う。
 
◇東田直樹,2016『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』KADOKAWA.(2007年の単行本を文庫化したもの)
 

それは本当に優生思想なのか:「内なる優生思想」をめぐって

<要約>
 「優生思想」や「内なる優生思想」という語は、最近様々な意味で用いられており、ときには混乱した形での用例も見受けられる。この記事では、歴史的な使用例や近年の事例を見ることによって、①遺伝子を巡った人間の集団の改良を目的とした思想、②あらゆる障害者差別、③「生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある」という考え方、の三種類に整理した。混乱した形での語の使用によって、歴史的な意味が脱色されないように注意しながら、「優生思想」という語を用いるべきである。
 
***
 
 日本における「優生思想」という語の使われ方は、SNS上を中心に、近年大きく変化している。それは、ぼくの見立てによると、以下の対談記事の影響を強く受けている。
 
 
 以上の記事をこのブログでは、「熊谷ー安田対談」と呼ぶことにする。Dialogue for PeopleというNPOのサイトに掲載されたこの記事は、フォトジャーナリストの安田菜津紀が、東京大学先端科学技術センターの熊谷晋一郎と対談する形式で、2016年7月26日に起こった「相模原障害者施設殺傷事件」をめぐって書かれた記事である。
 
 まずは単刀直入にこれを問いたい。
 
熊谷:生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある、という考え方を「優生思想」ということがあります。私たちや私たちの先輩方がこの半世紀をかけて否定してきたのは、この優生思想です。
 
 「生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある」という考え方は本当に「優生思想」と呼んで良いのだろうか。優生学/優生思想という本来の言葉の意味は、これとは異なる。
 
 arsviという社会学者の立岩真也が製作責任者であるサイトでは、「優生学」についてこのような定義がなされている*1
 

人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。eugenicsの語は1883年にイギリスのF・ゴルトン Francis Galton が初めて使った。ギリシャ語で「よいタネ」を意味する。19世紀後半から20世紀にかけて、全世界で大きな動きとなり、強制的な不妊手術なども行われた。施設への隔離収容をこの流れの中に捉えることもできる。現在では遺伝子技術の進展との関連でも問題とされる。(「用語解説」 in 立岩真也「常識と脱常識の社会学」,安立清史・杉岡直人編『社会学』(社会福祉士養成講座),ミネルヴァ書房

 

 
 これがぼくの認識する優生学の定義である。ここで重要なのは、「遺伝」に注目することによって、人間の性質を改良する立場のことである。それはeugenicsが、gene(遺伝子)を含むことから、その語に埋め込まれたような意味である。優生学という実践においてよく結びつけられやすいのは、ナチス・ドイツにおける断種法・T4作戦と言った、人種主義や安楽死という思想と結びつく形で行われた、障害者に対する迫害である。しかし、当然それだけではなく、多くの先進国で、例えば、スウェーデン、フランス、カナダ、アメリカ、そして日本において障害者に対する強制不妊手術が行われた。日本における強制不妊手術は、1948年に制定され、96年までつづいた「優生保護法」を根拠として行われ、厚生省統計で「同意」と「強制」を含め少なくとも2万4991人が手術を受けた*2
 
 あるいは施設への隔離収容も、障害のある人を隔離することによって、そうでない者との子どもをもうけないようにするという生殖防止の意図で行われたとも言える*3。また、「遺伝子技術の進展」というのは出生前診断をめぐる問題を指している。ここではじめて、「内なる優生思想」という用語が現れてくる*4。すなわち、出生前診断における選択的中絶の問題は、これまでの国家を主なアクターとした「優生思想」が、より個人化された問題として捉えられていることによって、女性を中心に強いジレンマを抱かせるようになった。それは例えば、このような書き方で表される。
 

女性の自己決定権という点から、産む産まないは当の女性が決めて良いとの主張は擁護したいが、それは全く無反省に語って良いものなのか。...ここで問題にしているのは、当の女性自身に、そしてそのパートナーである男性自身に、自分とは異質な子、「まともではない子」はもちたくないという意識があるのではないか、あるとすればそれは認めてよいのか、ということである。重苦しい問題であり、「内なる」ままに隠しておきたい問題である。*5

 

 
 ここにおける「内なる」問題のニュアンスには、個人の持つという意味だけでなく、「隠された」というようなニュアンスを読み取ることができるだろう。
 
 話を元に戻そう。「生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある」というのが優生思想であると熊谷は定義するのだが、ここに、従来の優生学/優生思想との大きな断絶が見受けられるのである。
 
 まず、最初に強調したように、障害の有無ではなく、生産性や能力の問題に置き換えることによって、「優生学」の持つ遺伝に関するニュアンスを無視してしまっていること。次に、優生学における行為的な側面、すなわち人を殺す、断種する、中絶するという行為と結びついた思想であることが、無視され「価値」の問題に転換されている。
 
 このような出発点に立った上で、どのような議論がなされているかというと、以下のようなものである。
 
熊谷:賛同する声も一枚岩ではないと思います。ただ、ことさらに、といいますか、露悪的に、といいますか、優生思想を声高に主張する人の中には、他ならぬその本人も優生思想の被害者であるという人が少なからずいるのではないか、そういう感覚は持っています。
 
もしかすると植松被告もそうだったかもしれませんが、多くの方々が、自分は“用ナシ”になってしまうのではないかという不安、不要とされてしまうのではないかという不安を少なからず共有している社会に、私たちは投げ込まれているのではないかな、と思うわけです。
 
その「不要とされるかもしれない」という恐怖心をどのように次の行動や考え方に転化していくか、ここに分岐点があると思うんです。
 
そこには二つ選択肢があると思います。一つは、私たちは皆、優生思想に苦しめられている、だからその優生思想が蔓延している社会そのものを変えていかなければならないという形、連帯するという方向です。ところが二つ目の選択肢は、あくまでも優生思想のゲームの上で勝負をしていこう、そして自分よりもより弱い立場に置かれていると本人が思っている人たちを、ある種排除することによって相対的な優位性を示していこう、というもの。自分は何かを成し遂げたのであるという風な、「有用性」を証明しようという方向です。
 
 ここで議論されているのは、ぼくには「能力主義」に関する議論に映る。ここで言われている「用無し」とか「不要」とされるのは、近年重要視されている「生産性」に関する問題と関連するが、それは「子どもを産む」みたいな意味の生産性を主に意味するのではなく、社会に対する貢献度みたいな、茫漠とした基準で人を測るときに使うものであろう。
 
 優生思想が蔓延しているというのは、ぼくもそう思う。それは例えば、強制不妊手術を受けた人々に対する救済がなされていないことである。しかし、皆が苦しめられているとは言えないと思う。特に、障害のある人、難病を抱える人、あるいはいまだ生まれていないが障害のある可能性がある命に対して、今のところこの思想は差し向けられているし、そこには明らかに不均衡があるだろう。
 
 
***
 
 これだけでも熊谷ー安田対談を批判するのには十分だと思うのだが、もちろんこのような文脈で熊谷が発言したのには理由がある。それはおそらく青い芝の会が起こした運動において「健全者幻想」と呼ばれた思想を受け継ぐ形の発言だったのだろう、と推察する。
 
 脳性まひ者の団体である青い芝の会は、1970年代に優生保護法の「胎児条項」の問題や、障害のある子供2名をその母が殺害した事件に対する減刑嘆願運動などに激しく抗議した。その中で、横塚晃一などが、障害を抱えながらも、健常者身体に至上の価値を求めることを「健全者幻想」と名づけ、それに対しても批判をした*6.。そのような運動の中で、「障害者差別」という用語と「優生思想」という用語がほぼ同じ意味で用いられることも起こっている。市野川容孝は以下のように述べている*7
 

1976年に結成された全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の第3回大会が78年に京都で開催されましたが、その際、「あらゆる障害者差別、優生思想と対決しよう」というスローガンが掲げられました。このスローガンは「優生思想」という日本語をめぐる1970年代の変化を、凝縮して表現しています。つまり、「あらゆる障害者差別」が「優生思想」という言葉で語りうるようになったのです。

 

 
 それを踏まえて、1970年代に見出された「内なる優生思想」とは何かを考えると、それは、「障害者自身が持っている障害者差別」と言えるだろう。ならば、前に指摘したような、遺伝の問題も行為の問題も関係がない、障害者差別の問題として優生思想をとらえることも、日本においては可能なのかもしれないと思う。
 
 とはいえ、熊谷は障害の問題を能力の問題へと転換させている。もう一度熊谷の発言を見てみよう。
 

熊谷:生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある、という考え方を「優生思想」ということがあります。私たちや私たちの先輩方がこの半世紀をかけて否定してきたのは、この優生思想です。

 

 
 たしかに障害がdisabilityであることを踏まえるならば、それは確かにable(できる)を巡った問題であると言える。そのように受け取ることはできる。しかし、障害者差別の問題を、能力による差別や価値づけの問題に、簡単に転換できるかと言ったら、ぼくにはそうは思われない。この記事を読む人の多くが、いわゆる障害(impairment)を持たないマジョリティであると考えれば、なおさらである。マジョリティが考える能力の問題とは、例えば生活や生命の維持を助けなく行うことができる、という能力の問題ではなく、より高度の、例えば学力やコミュニケーション能力やお金を稼ぐ能力の問題であるからである。
 
***
 
 話がどんどん混乱していくので整理すると、優生思想は今のところ次の三種類を中心とする意味で用いられている。
 
①遺伝子を巡った人間の集団の改良を目的とした思想。
②あらゆる障害者差別。
③「生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある」という考え方。
 
 そして「内なる優生思想」という用語もそれに対応して次のような文脈で用いられてきた。
 
出生前診断における優生思想の個人化。
②障害者自身による障害者差別。
③お互いに能力を競い合わなくてはいけないような時におこる、協力するというだけではない、相手を押しのけていこうというような思い。
 
 次のような三種類の問題が、混線する形で今、「内なる優生思想」と呼ばれている。そして、それらが全て不可避であるというように言われる。そしてそれぞれが不可避である事情もわかる。しかし、それらを混乱せずに考えることがどのくらいできているのだろうか、と思う。正直なことを言うならば、②は障害者差別、③は能力主義と言えば良いのではないか、と思う。
 
 「優生」という漢字から、「優れた生」のようなニュアンスが生まれやすいのもあるのか、②の段階で、ぼくらは諸外国とは異なる独特な使用法をこの語に含ませている。それで混乱しないならば構わない。だけど、ぼくはこのような使用法にかなり混乱している。だからこそ、それは本当に優生思想なのか、と問いたい。あるいは、どの優生思想なのかを問いたい。これら3つの間には連続よりも断絶があると思う。なのにも関わらず、ふわっと「優生思想」として諸言説が批判される。本当にそれで良いのだろうか、と思う。
 
 
***
 
 特にインターネット上においては優生思想という語は近年多く使用されているようだ。
 

 
 上のグラフは青を「優生思想」赤を「優生学」として、Google Trendsにて分析したものだが、驚くべきことに、2016年に起こった相模原事件のときよりもよりもはるかに、2020年や2021年に「優生思想」という語がインターネット上では関心を集めていることがわかる。では、そのときに起こっていたこととはなんだったのか。
 
 2020年7月16日には、ミュージシャンの野田洋次郎が、「お化け遺伝子(注:優れた遺伝子、の意)を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないか」とツイートし、炎上した。確かにこれは、遺伝子を巡った人間の集団の改良を目的とした思想と言えるだろう。この意味では、これは①の意味での優生思想だと言える。これが一つ目の山である。
 
 二つ目の山は、2021年8月5日メンタリストのDaiGoがYouTubeの動画で、生活保護の利用者やホームレスの人の命を「どうでもいい」と述べ、「(人間は)社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている」などと述べ、彼らに対する、社会からの排除、抹殺を示唆した発言に対するリアクションである*8。この発言がおぞましいのは確かだが、ぼくはこれを「優生思想」として的確に整理することが難しいと感じる。というのは、これはやはり、遺伝などに関係する集団の改良の思想ではなく、むしろ殺害や排除による集団の改良の思想であって、そこに病気や障害の問題は含まれていない。これは自身の整理においては、①の影響を受けながら、③のような定義をしているような例としてみることができる。すなわち、この文脈では、生産性とか、能力というものが、社会に対する利益とパラフレーズされ、その命に優劣をつけるものとして、優生思想という語が用いられている。
 
 この二つの問題が相応しくない発言であることはぼくも当然賛同するが、例えば殺傷事件や、国との旧優生保護法をめぐる裁判の問題を記述することではなく、個人の発言に対する反応として「優生思想」という語が多く用いられていることがわかる。
 
 そして、それとともに、例えば2021年8月13日には安田菜津紀が熊谷ー安田対談のリンクを再びツイートするなど、このような発言があるたびに、一つの参照点として、熊谷ー安田対談は用いられている。そして、これからもそのような問題があるたびに、どのような用法で、どのような歴史的経緯で生まれた言葉なのかを意識することなく、優生思想という用語が用いられるのではないかと思う。ぼくはそこから、強制不妊問題や障害者差別に対する批判や抗議のニュアンスが失われることを危惧している。当然、他の差別を容認するという意味ではないが、その語に含み込まれた歴史的な意味が脱色されることは、優生思想という語を用いるにあたって良いとは思わない。
 
 
***
 
 
 だから、あなたがもし優生思想という用語を用いたいのであれば、「それは本当に優生思想なのか」「どの優生思想なのか」を自らに問うてから用いて欲しいと、ぼくは思う。そして願わくはその語に込められた歴史的意義に思いを馳せて欲しいと思う。それを理解することで、その語の持つ批判的な強度は高まる。
 
 単なるバズ・ワードで終わらせたくないと、思う。なぜならば、そこには明確な被害者がいるからである。日本や外国で、少なからぬ障害者が不妊手術を受けたその傷痕、あるいは1940年代にドイツ周辺で殺害された、障害者や精神病患者の死体、あるいは障害者へのヘイトクライムによる被害者の名を、想起せねばならない。*9そのような歴史・現実に対する怒りを込めてぼくはこの言葉を使う。そうでないことに用いる例があっても良いと思うが、その歴史的事実を引き連れずに、単なる分析概念として用いることには、明確に反対である。
 
 
*****
 
 熊谷ー安田対談を批判する形でこの文章は書きましたが、ぼくはお二人とも尊敬している方ですし、なんとかお二人のメッセージを受け取ろうと思いました。しかし、この対談は相当にハイコンテクストなので、注釈が必要だろうと思って書きました。
 
 これをお読みになった方の感想をお待ちしています。あるいは引用・拡散なども歓迎です。というのは、以下のような状況があります。
 
 Googleで「内なる優生思想」で調べると、様々な記事が出てきます。「青い芝の会」に触れた論文や、「熊谷ー安田対談」、そしていくつかのニュース記事が上の方に出てきます。しかし、体系的に「優生思想」の使われ方を論じた記事はなく、それぞれ異なった意味で、ときには漠然と使われているように思います。ぼくは、これではいけないとずっと思ってきました。どのような意味なのか、どのような歴史的経緯があるのかを把握することなく、この語は理解できないと思っているからです。そしてその混乱した語用論の中で、歴史的事実が脱色されることが怖いのです。
 
 もちろん、日本において強制不妊に関する報道は近年たくさんなされてきました。裁判の状況がしばらくは報道されることを考えると、杞憂に終わるかもしれません。しかし、この大きな問題についての言及は、まだまだ少ないと感じています。それは障害のある人が、歴史的に、社会的に、周縁化されていることが大きいと感じています。これからも、起こってはほしくないですが、優生思想に関係する事件や発言が起こる可能性があります。そういうときに、このブログを参照して欲しいと思っています。
 
 

*1:

優生学・優生思想 | Eugenics

*2:毎日新聞取材班編2019『強制不妊:旧優生保護法を問う』毎日新聞出版.

*3:森永佳江,2012「福祉国家における優生政策の意義—デンマークとドイツの比較において——」久留米大学文学部紀要社会福祉学科編12号: 37-52.

*4:森岡次郎2006,「「内なる優生思想」 という問題:「青い芝の会」 の思想を中心に」大阪大学教育学年報, 11, 19-33.

*5:徳永哲也1997「生命倫理と優生思想: 出生前診断と選択的中絶をめぐって」メタフュシカ, 28, 65-80.

*6:横塚晃一 2007『母よ! 殺すな』生活書院.

*7:

命についてのレクチャー 講師:市野川容孝先生「優生思想について考える」2020年8月19日 | れいわ新選組

*8:

メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明 | つくろい東京ファンド

*9:市野川容孝,1997『身体/生命』岩波書店:v-vi.

言葉が出なくなる

 言葉が出なくなる。


 言葉が出ない、とか、なんと言ったら良いかよくわからない、とか、そういうことが書かれているのを、ときどき見るし,あるいは、ぼくもそういうことを言ったり、LINEしたりする。


 息苦しい気分の中で、ぼくはなんとか息を吸おうとして、ぼくはしずかに、頭の中で「言葉出てるじゃん!」って突っ込む。「言葉が出ない」と伝えること自体が、ひとつの言語的コミュニケーションであることを、ぼくはなんとか自分に言い聞かせる。「言葉が出ない」と言うだけで、何か伝えることができているはずだし、それが単なる自分の状況であろうと、説明できてよかった、と思う。本当に何も言えないことの方が怖いから。


ーーー


 すこし前に、ある電車内で放火事件があって、テレビで動画が流れてて、ぼくは何も言わないまま、ぼんやりと眺めていた。人々は走って、逃げていた。怖かっただろう、と思った。そして多分、ぼくも怖かった。


 次の日、友達とモーニングを食べていて、とても楽しい時間を過ごしていたのだけど、ぼくは何度も昨日の事件を、もっと言えばその映像を、恐怖を思い浮かべた。その日はハロウィンだったから、ハロウィンの話とかをするたびに、その事件のことが思い出された。でも、ぼくはそんな話題を出すと、楽しい場が暗くなってしまう気がしたし、なんと言ったらいいのかわからなかったから、ぼくは、ずっと楽しい感じでいたし、実際楽しかった。


 バイトに行くために電車に乗って、20分くらいしたとき、車両と車両の間のドアを見て、ぼくは急に気持ち悪くなってしまって、怖くてたまらなくて、電車に乗っていられなくなった。事件の映像が、そこにあった恐怖が、電車のどのパーツにも宿っているような感じがした。


 さっきまでモーニングを食べていた友達に電話して、泣きながら事情を説明して、怖くてたまらないことを伝えて、LINEしながら、なんとかバイト先までたどり着いたのを覚えている。


ーーー


 本当は、ぼくは、その友達に最初から、怖かったね、と言いたかったのかもしれない、と思う。でも、その事件について触れることが、相手の恐怖心を煽るかもしれないと思って、傷つけてしまうのが怖くて、何も言えなかったのだと思う。


 そう思えるのは、ぼくがすでになんとか、その事件に対して「怖い」と口にできたからで、それまではまさに、言葉が出なかったのだ。もっと言えば、言葉が出ないということさえ、言葉にできなかったのだ。


 何かぼくらの日常を脅かすような怖いことが、起こることがある。それはメディアで報道されるようなことかもしれないし、あるいは実際に目にしたり耳にしたりすることかもしれない。さらには、実際には起こっていないけれども、その危険を感じるようなこと(夜道を歩くこととか)も、ぼくらの日常的な安心を損なってしまうかもしれない。


 それに対して、人が精一杯反応する。なんとかバランスを取り戻すために、息をするために。それは時には明らかに不謹慎な笑いだったり、誰かに対する攻撃的な言葉だったりする。しかし、怖かったこと、戦慄するような何かをほぐすために、何かを口にすること、それ自体はとても自然なことだと思うし、それには沢山の勇気が必要だろう、と思う。


ーーー


 翻って、「言葉が出てこない」というのは、誰も傷つけないように、何か言い表せない恐怖なり、戦慄なり、予測誤差なりに対する、精一杯の言語表現なのだろう、と思う。それについて何ひとつ語る言葉を持たなくても、ぼくたちはそれを話題にあげることができるし、そのとき、沈黙はあなたの状況を雄弁に伝えるひとつのやり方になるだろうと思う。それで、いいと思う。
 
 

逆照射されるドミナント・イメージ:瀬口真司「「脱出」の列へ : 塚本邦雄『日本人靈歌』論」を読んで

 短歌のことがわからない。もっと言うと短歌の歴史に到っては知らないに等しいのだが、12/10に以下の論文を読んでから、評をすることの凄さみたいなものに感動して、論文を読んで考えたことを書こうと思っていた。そもそもぼくは専攻が社会科学や社会思想にあり、文学の論文なんてほとんど読んだことがなかったから、すごく新鮮でとても楽しく読んだ。


◇瀬口真司 2021 「「脱出」 の列へ: 塚本邦雄 『日本人靈歌』 論」 立教大学日本文学 : 125, 16-29.
 
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=20596&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=49


 この論文を読んだのは、第3回笹井宏之賞大森静佳賞受賞作の「KILLING TIME」がすばらしくて、もともと彼の書いたものをもっと読みたいという気持ちがあったことが大きい。『塚本邦雄全歌集』の第一巻を買おうかなと思っているときに、ちょうど瀬口さんの論文があることを知り、前述したように短歌/短歌史に無知な自分が読めるだろうかと怯えつつ、レポジトリのPDFのリンクをクリックした。


***


 この論文は基本的に、『日本人靈歌』の巻頭歌の、

 

 日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも


 をめぐる先行するドミナントな解釈を批判しつつ、この歌と歌集のタイトルにもなっているフレームワークである「日本」/「日本人」がどのようなものであるかについて筆者なりの読みの可能性を探ったものと言える。
 筆者が指摘するのは、助詞「も」を【並列】ではなく【添加】として解釈しうることである。それはすなわち、「日本脱出したし」と言明/思惟するのは、「皇帝ペンギン」と「皇帝ペンギン飼育係り」だけではなく、その他の日本というフレームワークに閉じ込められた存在ーー筆者は特に戦時体制下において「日本人」として編入された「在日朝鮮人」や「在日台湾人」に注目するのだがーーを含みうるということである。そして、その解釈は特に倒置というこの歌の構造によって見出されている。
 もちろん、それ以外にも多くのことに触れている論文であるのだが、この部分に注目するのは、歌を読む上で、ドミナントな認識のようなものの力学がいかにそれ以外にもある複線的な解釈を阻んでいるかをまざまざと感じさせてくれたからである。たとえば歌会をするときに、「も」を【添加】として読むことは大いにありうるだろう。ぼくは特に一字空けを「ゆるい連関」くらいに捉えて読むタイプなのだが、そう捉えればまさに、「日本脱出したし」という言明が先にあるわけだから、それを考えている主体のようなものを、かなり広範に捉えた上で、下の句に移るのが自然であり、すると皇帝ペンギンが何を表象しているかがわからない段階では、【添加】と取るのが、むしろ自然なのではないかと思う。逆照射されるのは、皇帝ペンギン天皇と解釈したときの、ぼくたちの天皇制を中心とした「日本」に対する流通しているイメージが、いかに周縁的な存在に目を向けてこなかったかである。ぼくが言いたいのは、【添加】の解釈が出てこなかったのは、ぼくらの助詞に対する理解が不十分なことでは決してなく、「日本の市民」というものに対するイメージが極めて閉じていることが大きいのではないかということだ。


***

 

 母國なきは爽やかならむ 炎天に濡れしバナナの皮の黑き斑


 筆者の論文でも引用されているこの歌を読んだとき、最初に受け取ったのは、母国というものを人は制度上持たざるを得ないということであり、実際にはその「爽やか」さは、架空のものであり、いわゆる脱出の不可能性を指し示しているように感じられた。それは主体をドミナントな日本人として想定したからであるが、よくよく考えると、母国とは、主に自分の生まれた国と別の国に住んでいる者の立場で用いる言葉である。そう考えていくと、論文で指摘されていたような、日本の外部にある「母國」を想定することができるかもしれない。あるいはそうでなくとも、主体が住む国が自分にとって異郷のように思われるような疎外感を捉えることができるかもしれない。
 一字空けのあとのイメージは「爽やか」とは程遠い、炎天下にあるバナナの皮である。バナナの皮が包むバナナはおそらくは誰かに食べられて、捨てられていて、その「黑き斑」すなわちシュガースポットに視点が移動する。バナナが完熟している証は、バナナが食べられたあと、全くの無意味になる。そこに、出身の国家が有徴される社会を映し出していると捉えるのは、読み過ぎであろうか。

 

 

 


 


 

遠野遥『教育』感想:「わからない」をめぐって

遠野遥『教育』を読んだ。とても面白かった。
芥川賞受賞作の『破局』が面白かったので、新しく出たこの本を購入した。あらすじをどう説明したらいいのかわからないのだが、帯文に書かれている抜粋を見れば、なんとなくわかると思う。
 
 
「この学校では、一日三回以上オーガズムに達すると成績が上がりやすいとされていて——」(本文より)
 
 
***
 
 
 主人公(勇人)の、規範に対して疑いを持たない感じとか、自分の問題と他者の問題を区別する感じとか、とても合理的な気もするのだが、どうしても変な感じがする。例えば、このようなシーン。
 
 
「新入部員は募集しないのか。ひとりでは部費の請求もなかなか難しいだろう」
「募集しなきゃいけないとは思ってます。でも新しい部員を入れると部長との思い出まで消えていってしまうような気がして」
 未来の言っていることは、言葉の意味はわかるもののイメージが湧かなかった。新しい部員を入れるとどうして部長との思い出が消えるのか、私にはわからなかった。 
 私はそろそろ部屋に戻ると言った。
 
 
 主人公は、基本的に円滑にコミュニケーションをとることができているのだが、たびたび様々なものに対して「わからない」と思う。イメージが湧かないことは、よくわからない。そういうことは確かにある。
 しかし、主人公はそれに対して、「どうして?」とは尋ねない。わからないものに直面したときに、理由を探りたくなる人も多いと思うのだが、主人公は他者の問題と自己の問題を相当に切り分けて考えている。理由を問うことによって、何かの目的を達成できる場合には、尋ねることもあるが、他者に共感することはあまりないように見える。
 そのドライさには、心理学的な合理性を感じる。昔、『嫌われる勇気』というアドラー心理学の本を読んでいたときに、「課題の分離」というような話があった。ある問題があったときに、他人の課題には踏み込まず、自分の問題に集中することで、対人関係が改善するというような話だったと思う。そのような感覚が徹底的に身体化されている感じがする。
 
 
***
 
 
 あまり良くないかもしれないが、ぼくは村田沙耶香コンビニ人間』のネガを見ているような感覚で、『教育』を読んだ。それぞれの主人公の感受性は、結構似ていると思う。ウェットな意味での共感感覚を二人とも持っていないように思う。『コンビニ人間』の場合は、そのような人間像が、コミュニケーションが苦手な人物のように捉えられている。むしろ世界の方があまり合理的でないものを含んでいるから、主人公は異端な人のようになる。一方で、『教育』は世界とか規範がどちらかというと合理的すぎて変な感じのディストピアだから、主人公は過剰なほどに適応する。古倉恵子はこの学校なら結構優等生かもしれない。
 
 わからないことが世の中にはたくさんあって、そのようなことを意味づけていくのも一つの生き方だが、とはいえ、特に解釈を加えず、「わからない」で済ませたり、コミュニケーションを取らないことも、とても自然なことのように思う。そして、それにあまり価値判断をくだそうとしないのも、とても自然なことだと思う。自然な感じがするのに、なぜ主人公にどこか奇妙さを感じるのか、ぼくはわからなかった。
 

 

 

 

 

◇いくつか感想を書いているブログ的なものを見つけたので、少し紹介します。

 

note.com

言葉の使い方に作家性を見出すところが面白かった。ぼくもこの作者の文体が気に入っている。筋肉質な感じで、比喩や接続詞、「〜と思った」などがかなり省かれていると思う。

 

bsk00kw20-kohei.hatenablog.com

主人公の無反応さに「宙吊り」という効果を見出しているところが面白かった。でもぼくは無反応なのは自然だと思った。
 
 
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詩で書き起こす:インタビューの編集の一事例

 まずは、次の英詩をお読みいただきたい。拙訳も付記するので英語が苦手な方は読み飛ばしてくださって構わない。


Pencilling It In


The Schaefer is gone.
The gold-tipped Parker's
relegated to the drawer,
its decisive black
used only on checks.


The felt-tip is abandoned
as too indelible.


For a time the blue automatic pencil
shot words off its tip.
Now its occasional care and feeding,
its hardened eraser
are too much.
He has become a pencil person.
The Number Two is all he pockets.
Its yellow (eraser worn with indecision)
can be  forgotten if dropped,
tapped to splinter
snapped in anger.


Light and hesitant, its words
make less and less impression,
weaken blurrily as they
reach the bottom
of a page
or a life.


鉛筆で書く


シェーファーのやつはどこかに行ってしまった。
先が金で出来てるパーカーのやつは
引き出しの中に追いやられた。
そのくっきりした黒は
試し書きにしか使われなかった。


フェルトが先のやつは
あまりにも消えないから棄てられた。


あるとき、青いシャープペンシル
ペン先から言葉を放った。
今はたまに気に留められて餌を与えられて、
硬くなった消しゴムが
たくさんある。
彼は鉛筆派になった。
HBがいつも彼のポケットにあり、
黄色(の、優柔不断をまとった消しゴム)
は落とされ、
踏まれて破片になって
怒りで割られて
忘れられることもある。


軽く、躊躇いがちに、
言葉たちは徐々に印象を弱め、
ページの一番下にたどり着く
頃にはぼやけて弱々しくなるだろう。
あるいは人生の。

 


 一読して、わかりやすい詩だと言えるだろう。シェーファーとかパーカーとかは、それぞれ文房具のメーカーを指している。ある男の子が鉛筆を好む様子や、それと対比されるかたちで消しゴムが床に落とされる様子などが描かれている。そこからは、少年時代にたくさんの文房具を与えられながらも、すべてを使い切ることができなかった思い出だったり、腕が疲れてページの最後まできちんとした筆圧で書けなかった思い出だったりが想起されるかもしれない。非常にノスタルジックな詩だと思う。

 

ーーー


 実はこれは、Lawtonという研究者が書いた、Tessという生徒に対するインタビューの様子を記したものである。Lawtonは、学校における生徒の語りを様々な方法で収集し比較するという研究を行ったのだが、その中の一つにこのように、詩によるインタビューの再構成というものがある。そして驚くべきことに、この論文はうんと長い論文なのだが、元となった語りは記述されていない。すなわちこれは表現であると同時に、この研究者なりの「記述」「書き起こし」でもあるのだ。


 語り手の語りを、聞き手が詩的に表現するやり方は、Laurel Richardsonという研究者が始めたものだ。これは、研究における記述スタイルは散文による報告でなくても良いのではないか、あるいはいくつかの知は詩によってより良く記述されるのではないか、といった、論文の書き方そのものへの問題提起でもある。


 Richardsonは、話し言葉が散文というよりも詩に近いと指摘する。例えば、ぼくらは話すとき半分くらい話していない。というのは、半分くらいは間を取りながら話している。そういうのも含めて、例えばエスノメソドロジーにおける正確なトランスクリプトのように、間や強調箇所も含めて記述することは一つの道だろうが、それ自体を見ることによって、完全に語りを再現できるわけではない。あるいは、語り手が存在する空間のイメージとか、語り手と聞き手の関係性などを表現することも難しい。そのようなことを鑑みると、詩による表現は、科学的記述におけるひとつのオルタナティブになる、と彼は考えている。


ーーー


 正直、ぼくはこの記述の方法が、どこまで使えるのかわかっていない。インタビューとはある意味で構成物である。語りは、聞き手と語り手の関係や、その状況などたくさんの条件から成り立っている。そのようなことを考えると、語りを単純なエビデンスとして持ち出すことは難しくなってしまう。とはいえ、インタビューを詩にすることは、聞き手=書き手の編集を前面化するということであって、読者としてはそのスタイルに戸惑ってしまう。

 

 とはいえ、英米圏でこのような記述の手法が導入されていることは、ほとんど日本に紹介されていないと思う。『ワードマップ 現代エスノグラフィー』にオートエスノグラフィーにおける詩の使用が書かれていたように思うが、これらは、自己の語りを詩にするか、他者の語りを詩にするかというちがいがある。


 だが、書き方の問題というのは様々な人が考えているのだろうと思う。たとえば、岸政彦や上間陽子のような質的研究の研究者の書き方は、散文であるとはいえ、比喩や叙情的な表現が用いられているという点で、このような「書き方」をめぐる問題に対するひとつの応答に、なりうるのではないか、と思う。


 また、より文学的な関心だが、人々の語りにおける「間の取り方」や「話すスピード」の解釈を人々がどのようにしているか、するのかといった関心を抱いた。

 

ーーー

 

◇Lawton,J. E. 1997. “Reconceptualizing a Horizontal Career Line: A Study of Seven Experienced Urban English Teachers Approaching Career End.” Ph. D dissertation, Ohio State University.

 

https://etd.ohiolink.edu/apexprod/rws_etd/send_file/send?accession=osu1394730077&disposition=inline


◇Richardson, L. 2003  "Poetic Representation of Interview"from  Gubrium and Holstein ed. "Postmodern Interviewing". Sage Publications.

 

https://www.amazon.co.jp/Postmodern-Interviewing-Jaber-F-Gubrium/dp/0761928502