可能性と軌道
まみの白い机は夢にあらわれて「可能性」と名乗った。アイム、ポシビリティ可能性。ソフトクリーム食べたいわ、ってゆきずりの誰かにねだること可能性。すべての恋は恋の死へ一直線に堕ちてゆくこと/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
おにぎりをソフトクリームで飲みこんで可能性とはあなたのことだ/雪舟えま『たんぽるぽる』
東田直樹「夏の気分」鑑賞
僕たちは、おかしいほどいつも、そわそわしています。一年中まるで夏の気分なのです。人は何もしない時には、じっとしているのに、僕たちは学校に遅刻しそうな子供のように、どんな時も急いでいます。まるで、急がないと夏が終わってしまう蝉のようなものです。秋になる頃、蝉の一生は終わりますが、人間の僕たちには、まだまだ時間は残っています。時間の流れに乗れない僕たちは、いつも不安なのです。太陽が昇って沈むまで、ずっと泣き続けるしかないのです。/東田直樹「夏の気分」『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』
水の中にいれば、静かで自由で幸せです。誰からも干渉されず、そこには自分が望むだけの時間があるのです。じっとしていても、動いていても、水の中なら時間が一定の間隔で流れているのがよく分かります。僕たちには、いつも目や耳からの刺激が多すぎて、1秒がどれだけで、1時間がどれだけなのか見当もつきません。/同「どうして水の中が好きなのですか?」
それは本当に優生思想なのか:「内なる優生思想」をめぐって
熊谷:生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある、という考え方を「優生思想」ということがあります。私たちや私たちの先輩方がこの半世紀をかけて否定してきたのは、この優生思想です。
人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。eugenicsの語は1883年にイギリスのF・ゴルトン Francis Galton が初めて使った。ギリシャ語で「よいタネ」を意味する。19世紀後半から20世紀にかけて、全世界で大きな動きとなり、強制的な不妊手術なども行われた。施設への隔離収容をこの流れの中に捉えることもできる。現在では遺伝子技術の進展との関連でも問題とされる。(「用語解説」 in 立岩真也「常識と脱常識の社会学」,安立清史・杉岡直人編『社会学』(社会福祉士養成講座),ミネルヴァ書房)
女性の自己決定権という点から、産む産まないは当の女性が決めて良いとの主張は擁護したいが、それは全く無反省に語って良いものなのか。...ここで問題にしているのは、当の女性自身に、そしてそのパートナーである男性自身に、自分とは異質な子、「まともではない子」はもちたくないという意識があるのではないか、あるとすればそれは認めてよいのか、ということである。重苦しい問題であり、「内なる」ままに隠しておきたい問題である。*5
熊谷:賛同する声も一枚岩ではないと思います。ただ、ことさらに、といいますか、露悪的に、といいますか、優生思想を声高に主張する人の中には、他ならぬその本人も優生思想の被害者であるという人が少なからずいるのではないか、そういう感覚は持っています。もしかすると植松被告もそうだったかもしれませんが、多くの方々が、自分は“用ナシ”になってしまうのではないかという不安、不要とされてしまうのではないかという不安を少なからず共有している社会に、私たちは投げ込まれているのではないかな、と思うわけです。その「不要とされるかもしれない」という恐怖心をどのように次の行動や考え方に転化していくか、ここに分岐点があると思うんです。そこには二つ選択肢があると思います。一つは、私たちは皆、優生思想に苦しめられている、だからその優生思想が蔓延している社会そのものを変えていかなければならないという形、連帯するという方向です。ところが二つ目の選択肢は、あくまでも優生思想のゲームの上で勝負をしていこう、そして自分よりもより弱い立場に置かれていると本人が思っている人たちを、ある種排除することによって相対的な優位性を示していこう、というもの。自分は何かを成し遂げたのであるという風な、「有用性」を証明しようという方向です。
1976年に結成された全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の第3回大会が78年に京都で開催されましたが、その際、「あらゆる障害者差別、優生思想と対決しよう」というスローガンが掲げられました。このスローガンは「優生思想」という日本語をめぐる1970年代の変化を、凝縮して表現しています。つまり、「あらゆる障害者差別」が「優生思想」という言葉で語りうるようになったのです。
熊谷:生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある、という考え方を「優生思想」ということがあります。私たちや私たちの先輩方がこの半世紀をかけて否定してきたのは、この優生思想です。
*1:
*2:毎日新聞取材班編2019『強制不妊:旧優生保護法を問う』毎日新聞出版.
*3:森永佳江,2012「福祉国家における優生政策の意義—デンマークとドイツの比較において——」久留米大学文学部紀要社会福祉学科編12号: 37-52.
*4:森岡次郎2006,「「内なる優生思想」 という問題:「青い芝の会」 の思想を中心に」大阪大学教育学年報, 11, 19-33.
*5:徳永哲也1997「生命倫理と優生思想: 出生前診断と選択的中絶をめぐって」メタフュシカ, 28, 65-80.
*6:横塚晃一 2007『母よ! 殺すな』生活書院.
*7:
命についてのレクチャー 講師:市野川容孝先生「優生思想について考える」2020年8月19日 | れいわ新選組
*8:
言葉が出なくなる
言葉が出なくなる。
言葉が出ない、とか、なんと言ったら良いかよくわからない、とか、そういうことが書かれているのを、ときどき見るし,あるいは、ぼくもそういうことを言ったり、LINEしたりする。
息苦しい気分の中で、ぼくはなんとか息を吸おうとして、ぼくはしずかに、頭の中で「言葉出てるじゃん!」って突っ込む。「言葉が出ない」と伝えること自体が、ひとつの言語的コミュニケーションであることを、ぼくはなんとか自分に言い聞かせる。「言葉が出ない」と言うだけで、何か伝えることができているはずだし、それが単なる自分の状況であろうと、説明できてよかった、と思う。本当に何も言えないことの方が怖いから。
ーーー
すこし前に、ある電車内で放火事件があって、テレビで動画が流れてて、ぼくは何も言わないまま、ぼんやりと眺めていた。人々は走って、逃げていた。怖かっただろう、と思った。そして多分、ぼくも怖かった。
次の日、友達とモーニングを食べていて、とても楽しい時間を過ごしていたのだけど、ぼくは何度も昨日の事件を、もっと言えばその映像を、恐怖を思い浮かべた。その日はハロウィンだったから、ハロウィンの話とかをするたびに、その事件のことが思い出された。でも、ぼくはそんな話題を出すと、楽しい場が暗くなってしまう気がしたし、なんと言ったらいいのかわからなかったから、ぼくは、ずっと楽しい感じでいたし、実際楽しかった。
バイトに行くために電車に乗って、20分くらいしたとき、車両と車両の間のドアを見て、ぼくは急に気持ち悪くなってしまって、怖くてたまらなくて、電車に乗っていられなくなった。事件の映像が、そこにあった恐怖が、電車のどのパーツにも宿っているような感じがした。
さっきまでモーニングを食べていた友達に電話して、泣きながら事情を説明して、怖くてたまらないことを伝えて、LINEしながら、なんとかバイト先までたどり着いたのを覚えている。
ーーー
本当は、ぼくは、その友達に最初から、怖かったね、と言いたかったのかもしれない、と思う。でも、その事件について触れることが、相手の恐怖心を煽るかもしれないと思って、傷つけてしまうのが怖くて、何も言えなかったのだと思う。
そう思えるのは、ぼくがすでになんとか、その事件に対して「怖い」と口にできたからで、それまではまさに、言葉が出なかったのだ。もっと言えば、言葉が出ないということさえ、言葉にできなかったのだ。
何かぼくらの日常を脅かすような怖いことが、起こることがある。それはメディアで報道されるようなことかもしれないし、あるいは実際に目にしたり耳にしたりすることかもしれない。さらには、実際には起こっていないけれども、その危険を感じるようなこと(夜道を歩くこととか)も、ぼくらの日常的な安心を損なってしまうかもしれない。
それに対して、人が精一杯反応する。なんとかバランスを取り戻すために、息をするために。それは時には明らかに不謹慎な笑いだったり、誰かに対する攻撃的な言葉だったりする。しかし、怖かったこと、戦慄するような何かをほぐすために、何かを口にすること、それ自体はとても自然なことだと思うし、それには沢山の勇気が必要だろう、と思う。
ーーー
翻って、「言葉が出てこない」というのは、誰も傷つけないように、何か言い表せない恐怖なり、戦慄なり、予測誤差なりに対する、精一杯の言語表現なのだろう、と思う。それについて何ひとつ語る言葉を持たなくても、ぼくたちはそれを話題にあげることができるし、そのとき、沈黙はあなたの状況を雄弁に伝えるひとつのやり方になるだろうと思う。それで、いいと思う。
逆照射されるドミナント・イメージ:瀬口真司「「脱出」の列へ : 塚本邦雄『日本人靈歌』論」を読んで
短歌のことがわからない。もっと言うと短歌の歴史に到っては知らないに等しいのだが、12/10に以下の論文を読んでから、評をすることの凄さみたいなものに感動して、論文を読んで考えたことを書こうと思っていた。そもそもぼくは専攻が社会科学や社会思想にあり、文学の論文なんてほとんど読んだことがなかったから、すごく新鮮でとても楽しく読んだ。
◇瀬口真司 2021 「「脱出」 の列へ: 塚本邦雄 『日本人靈歌』 論」 立教大学日本文学 : 125, 16-29.
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=20596&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=49
この論文を読んだのは、第3回笹井宏之賞大森静佳賞受賞作の「KILLING TIME」がすばらしくて、もともと彼の書いたものをもっと読みたいという気持ちがあったことが大きい。『塚本邦雄全歌集』の第一巻を買おうかなと思っているときに、ちょうど瀬口さんの論文があることを知り、前述したように短歌/短歌史に無知な自分が読めるだろうかと怯えつつ、レポジトリのPDFのリンクをクリックした。
***
この論文は基本的に、『日本人靈歌』の巻頭歌の、
をめぐる先行するドミナントな解釈を批判しつつ、この歌と歌集のタイトルにもなっているフレームワークである「日本」/「日本人」がどのようなものであるかについて筆者なりの読みの可能性を探ったものと言える。
筆者が指摘するのは、助詞「も」を【並列】ではなく【添加】として解釈しうることである。それはすなわち、「日本脱出したし」と言明/思惟するのは、「皇帝ペンギン」と「皇帝ペンギン飼育係り」だけではなく、その他の日本というフレームワークに閉じ込められた存在ーー筆者は特に戦時体制下において「日本人」として編入された「在日朝鮮人」や「在日台湾人」に注目するのだがーーを含みうるということである。そして、その解釈は特に倒置というこの歌の構造によって見出されている。
もちろん、それ以外にも多くのことに触れている論文であるのだが、この部分に注目するのは、歌を読む上で、ドミナントな認識のようなものの力学がいかにそれ以外にもある複線的な解釈を阻んでいるかをまざまざと感じさせてくれたからである。たとえば歌会をするときに、「も」を【添加】として読むことは大いにありうるだろう。ぼくは特に一字空けを「ゆるい連関」くらいに捉えて読むタイプなのだが、そう捉えればまさに、「日本脱出したし」という言明が先にあるわけだから、それを考えている主体のようなものを、かなり広範に捉えた上で、下の句に移るのが自然であり、すると皇帝ペンギンが何を表象しているかがわからない段階では、【添加】と取るのが、むしろ自然なのではないかと思う。逆照射されるのは、皇帝ペンギン=天皇と解釈したときの、ぼくたちの天皇制を中心とした「日本」に対する流通しているイメージが、いかに周縁的な存在に目を向けてこなかったかである。ぼくが言いたいのは、【添加】の解釈が出てこなかったのは、ぼくらの助詞に対する理解が不十分なことでは決してなく、「日本の市民」というものに対するイメージが極めて閉じていることが大きいのではないかということだ。
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母國なきは爽やかならむ 炎天に濡れしバナナの皮の黑き斑
筆者の論文でも引用されているこの歌を読んだとき、最初に受け取ったのは、母国というものを人は制度上持たざるを得ないということであり、実際にはその「爽やか」さは、架空のものであり、いわゆる脱出の不可能性を指し示しているように感じられた。それは主体をドミナントな日本人として想定したからであるが、よくよく考えると、母国とは、主に自分の生まれた国と別の国に住んでいる者の立場で用いる言葉である。そう考えていくと、論文で指摘されていたような、日本の外部にある「母國」を想定することができるかもしれない。あるいはそうでなくとも、主体が住む国が自分にとって異郷のように思われるような疎外感を捉えることができるかもしれない。
一字空けのあとのイメージは「爽やか」とは程遠い、炎天下にあるバナナの皮である。バナナの皮が包むバナナはおそらくは誰かに食べられて、捨てられていて、その「黑き斑」すなわちシュガースポットに視点が移動する。バナナが完熟している証は、バナナが食べられたあと、全くの無意味になる。そこに、出身の国家が有徴される社会を映し出していると捉えるのは、読み過ぎであろうか。
遠野遥『教育』感想:「わからない」をめぐって
「この学校では、一日三回以上オーガズムに達すると成績が上がりやすいとされていて——」(本文より)
「新入部員は募集しないのか。ひとりでは部費の請求もなかなか難しいだろう」「募集しなきゃいけないとは思ってます。でも新しい部員を入れると部長との思い出まで消えていってしまうような気がして」未来の言っていることは、言葉の意味はわかるもののイメージが湧かなかった。新しい部員を入れるとどうして部長との思い出が消えるのか、私にはわからなかった。私はそろそろ部屋に戻ると言った。
◇いくつか感想を書いているブログ的なものを見つけたので、少し紹介します。
言葉の使い方に作家性を見出すところが面白かった。ぼくもこの作者の文体が気に入っている。筋肉質な感じで、比喩や接続詞、「〜と思った」などがかなり省かれていると思う。
詩で書き起こす:インタビューの編集の一事例
まずは、次の英詩をお読みいただきたい。拙訳も付記するので英語が苦手な方は読み飛ばしてくださって構わない。
Pencilling It In
The Schaefer is gone.
The gold-tipped Parker's
relegated to the drawer,
its decisive black
used only on checks.
The felt-tip is abandoned
as too indelible.
For a time the blue automatic pencil
shot words off its tip.
Now its occasional care and feeding,
its hardened eraser
are too much.
He has become a pencil person.
The Number Two is all he pockets.
Its yellow (eraser worn with indecision)
can be forgotten if dropped,
tapped to splinter
snapped in anger.
Light and hesitant, its words
make less and less impression,
weaken blurrily as they
reach the bottom
of a page
or a life.
鉛筆で書く
シェーファーのやつはどこかに行ってしまった。
先が金で出来てるパーカーのやつは
引き出しの中に追いやられた。
そのくっきりした黒は
試し書きにしか使われなかった。
フェルトが先のやつは
あまりにも消えないから棄てられた。
あるとき、青いシャープペンシルが
ペン先から言葉を放った。
今はたまに気に留められて餌を与えられて、
硬くなった消しゴムが
たくさんある。
彼は鉛筆派になった。
HBがいつも彼のポケットにあり、
黄色(の、優柔不断をまとった消しゴム)
は落とされ、
踏まれて破片になって
怒りで割られて
忘れられることもある。
軽く、躊躇いがちに、
言葉たちは徐々に印象を弱め、
ページの一番下にたどり着く
頃にはぼやけて弱々しくなるだろう。
あるいは人生の。
一読して、わかりやすい詩だと言えるだろう。シェーファーとかパーカーとかは、それぞれ文房具のメーカーを指している。ある男の子が鉛筆を好む様子や、それと対比されるかたちで消しゴムが床に落とされる様子などが描かれている。そこからは、少年時代にたくさんの文房具を与えられながらも、すべてを使い切ることができなかった思い出だったり、腕が疲れてページの最後まできちんとした筆圧で書けなかった思い出だったりが想起されるかもしれない。非常にノスタルジックな詩だと思う。
ーーー
実はこれは、Lawtonという研究者が書いた、Tessという生徒に対するインタビューの様子を記したものである。Lawtonは、学校における生徒の語りを様々な方法で収集し比較するという研究を行ったのだが、その中の一つにこのように、詩によるインタビューの再構成というものがある。そして驚くべきことに、この論文はうんと長い論文なのだが、元となった語りは記述されていない。すなわちこれは表現であると同時に、この研究者なりの「記述」「書き起こし」でもあるのだ。
語り手の語りを、聞き手が詩的に表現するやり方は、Laurel Richardsonという研究者が始めたものだ。これは、研究における記述スタイルは散文による報告でなくても良いのではないか、あるいはいくつかの知は詩によってより良く記述されるのではないか、といった、論文の書き方そのものへの問題提起でもある。
Richardsonは、話し言葉が散文というよりも詩に近いと指摘する。例えば、ぼくらは話すとき半分くらい話していない。というのは、半分くらいは間を取りながら話している。そういうのも含めて、例えばエスノメソドロジーにおける正確なトランスクリプトのように、間や強調箇所も含めて記述することは一つの道だろうが、それ自体を見ることによって、完全に語りを再現できるわけではない。あるいは、語り手が存在する空間のイメージとか、語り手と聞き手の関係性などを表現することも難しい。そのようなことを鑑みると、詩による表現は、科学的記述におけるひとつのオルタナティブになる、と彼は考えている。
ーーー
正直、ぼくはこの記述の方法が、どこまで使えるのかわかっていない。インタビューとはある意味で構成物である。語りは、聞き手と語り手の関係や、その状況などたくさんの条件から成り立っている。そのようなことを考えると、語りを単純なエビデンスとして持ち出すことは難しくなってしまう。とはいえ、インタビューを詩にすることは、聞き手=書き手の編集を前面化するということであって、読者としてはそのスタイルに戸惑ってしまう。
とはいえ、英米圏でこのような記述の手法が導入されていることは、ほとんど日本に紹介されていないと思う。『ワードマップ 現代エスノグラフィー』にオートエスノグラフィーにおける詩の使用が書かれていたように思うが、これらは、自己の語りを詩にするか、他者の語りを詩にするかというちがいがある。
だが、書き方の問題というのは様々な人が考えているのだろうと思う。たとえば、岸政彦や上間陽子のような質的研究の研究者の書き方は、散文であるとはいえ、比喩や叙情的な表現が用いられているという点で、このような「書き方」をめぐる問題に対するひとつの応答に、なりうるのではないか、と思う。
また、より文学的な関心だが、人々の語りにおける「間の取り方」や「話すスピード」の解釈を人々がどのようにしているか、するのかといった関心を抱いた。
ーーー
◇Lawton,J. E. 1997. “Reconceptualizing a Horizontal Career Line: A Study of Seven Experienced Urban English Teachers Approaching Career End.” Ph. D dissertation, Ohio State University.
https://etd.ohiolink.edu/apexprod/rws_etd/send_file/send?accession=osu1394730077&disposition=inline
◇Richardson, L. 2003 "Poetic Representation of Interview"from Gubrium and Holstein ed. "Postmodern Interviewing". Sage Publications.
https://www.amazon.co.jp/Postmodern-Interviewing-Jaber-F-Gubrium/dp/0761928502