なぞる

なんか書いたやつ

 レイ・ハラカミの「Come Here Go There」の終わりぎわ、エレクトロニカから蛙のような音をわたしは聞いて、もう一度その部分を再生した。ある音が、わたしには確実に、駅のプラットホームから聞く蛙の声に聞こえ、今のところわたしにとってその景は変わりようがない。
 
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 きのうも同じ電車に乗っていて、そのときはたしかGalileo Galileiの「PORTAL」というアルバムを聴きながら、わたしは窓から家屋の屋根が光るのを見ていた。わたしはふとさびしくなり、どうしてさびしくなったのかわからなくて不安になった。あまり身に覚えのない感情だった。
 満員電車は窮屈だが、いくぶんか慣れて、窓から見える冬の景色をすきに思う余裕もある。それなのに...。つかれているのかもしれないし、友だちに会いたいのかもしれない。友だちに会いたいが、たくさん言葉を交わしたい気分でもない。心のなかを覗き込むようにして求めるものをさがすと、旅先で夜ごはんを待つときに、友だちと向かい合わせで本を読んでいた時間と、こげ茶いろにひかる机が目に飛び込んできた。


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 心のことを深いところまで知ろうとはおもわない。単純にそれはとてもおそろしいことだし、理由を問えど、深いところにあるなにかわからないものをひらこうとする言葉は、つねに迂回してもといた道にもどってしまう。
 どのようにわたしが感じたのかを、できるだけ正確な程度と温度で書くことにする。言葉はつねに過剰で、それはときに怖いけれど、できるだけ簡単に、丁寧に、プレゼントをラッピングするように、感情をしるす。


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 日々のちいさな折り合いのつけ方が、わたしにとっては重要なのかもしれない。[lust]は終わって、ランダム再生機能がサカナクションの「ミュージック」を耳にとどけている。わたしはポケットからセキュリティカードを取り出し、会社のビルへとすすんだ。

 

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