なぞる

なんか書いたやつ

ボヤージ

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 福居良の「ボヤージ」は朝に似つかわしい音楽だ。ピアノを往復する指が見えるような軽やかさは、まだぼんやりしているわたしの意識と、身体と、しずかな朝の空間とを、ゆっくりと接続する。
 ジャズのアルバムを聞いていると、いつの間にか次の曲になっていることが多い。詞のついた曲はいつもわかりやすく終わる、あるいは曲と曲のあいだを分けるものが多い。いつのまにか次の曲に接続されている形式は、すこし不慣れで、しかしそんなものかとも思う。
 そう、接続のことを考えていたのだ。「ボヤージ」は楽しい音楽だが、どことなく静謐な印象がある。ドラムスのない音楽は、明晰にリズムが共有されない。われわれは、楽しくのびやかな曲の、たのしいリズムを自ら耳をそば立てて感じる必要がある。その心の態度に、静けさは宿るのかもしれない。
 ボヤージ、それはたしかに海を進む船の運動を指すことばだが、そこに介在するはじまりの印象・出航の印象を消去することはできないだろう。太陽は東に低く、船に影をつけている。船乗りたちの生活がはじまる。海の上に自分がいることが、どこか夢であるような感覚を持ちながら、空間と意識を接続させる若い船乗りの身体を思う。思いながら、電車に乗り込んだ。