なぞる

なんか書いたやつ

言葉が出なくなる

 言葉が出なくなる。


 言葉が出ない、とか、なんと言ったら良いかよくわからない、とか、そういうことが書かれているのを、ときどき見るし,あるいは、ぼくもそういうことを言ったり、LINEしたりする。


 息苦しい気分の中で、ぼくはなんとか息を吸おうとして、ぼくはしずかに、頭の中で「言葉出てるじゃん!」って突っ込む。「言葉が出ない」と伝えること自体が、ひとつの言語的コミュニケーションであることを、ぼくはなんとか自分に言い聞かせる。「言葉が出ない」と言うだけで、何か伝えることができているはずだし、それが単なる自分の状況であろうと、説明できてよかった、と思う。本当に何も言えないことの方が怖いから。


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 すこし前に、ある電車内で放火事件があって、テレビで動画が流れてて、ぼくは何も言わないまま、ぼんやりと眺めていた。人々は走って、逃げていた。怖かっただろう、と思った。そして多分、ぼくも怖かった。


 次の日、友達とモーニングを食べていて、とても楽しい時間を過ごしていたのだけど、ぼくは何度も昨日の事件を、もっと言えばその映像を、恐怖を思い浮かべた。その日はハロウィンだったから、ハロウィンの話とかをするたびに、その事件のことが思い出された。でも、ぼくはそんな話題を出すと、楽しい場が暗くなってしまう気がしたし、なんと言ったらいいのかわからなかったから、ぼくは、ずっと楽しい感じでいたし、実際楽しかった。


 バイトに行くために電車に乗って、20分くらいしたとき、車両と車両の間のドアを見て、ぼくは急に気持ち悪くなってしまって、怖くてたまらなくて、電車に乗っていられなくなった。事件の映像が、そこにあった恐怖が、電車のどのパーツにも宿っているような感じがした。


 さっきまでモーニングを食べていた友達に電話して、泣きながら事情を説明して、怖くてたまらないことを伝えて、LINEしながら、なんとかバイト先までたどり着いたのを覚えている。


ーーー


 本当は、ぼくは、その友達に最初から、怖かったね、と言いたかったのかもしれない、と思う。でも、その事件について触れることが、相手の恐怖心を煽るかもしれないと思って、傷つけてしまうのが怖くて、何も言えなかったのだと思う。


 そう思えるのは、ぼくがすでになんとか、その事件に対して「怖い」と口にできたからで、それまではまさに、言葉が出なかったのだ。もっと言えば、言葉が出ないということさえ、言葉にできなかったのだ。


 何かぼくらの日常を脅かすような怖いことが、起こることがある。それはメディアで報道されるようなことかもしれないし、あるいは実際に目にしたり耳にしたりすることかもしれない。さらには、実際には起こっていないけれども、その危険を感じるようなこと(夜道を歩くこととか)も、ぼくらの日常的な安心を損なってしまうかもしれない。


 それに対して、人が精一杯反応する。なんとかバランスを取り戻すために、息をするために。それは時には明らかに不謹慎な笑いだったり、誰かに対する攻撃的な言葉だったりする。しかし、怖かったこと、戦慄するような何かをほぐすために、何かを口にすること、それ自体はとても自然なことだと思うし、それには沢山の勇気が必要だろう、と思う。


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 翻って、「言葉が出てこない」というのは、誰も傷つけないように、何か言い表せない恐怖なり、戦慄なり、予測誤差なりに対する、精一杯の言語表現なのだろう、と思う。それについて何ひとつ語る言葉を持たなくても、ぼくたちはそれを話題にあげることができるし、そのとき、沈黙はあなたの状況を雄弁に伝えるひとつのやり方になるだろうと思う。それで、いいと思う。