〈風は何処からきたか?〉
景を組み上げる:長谷川琳「細長い窓」(ura vol.6)
建築的だ、と思う。ひとつひとつの歌が示す景が立体的で、奥行きがある。
図書館が積み木のように明るくてバリアフリーのゆるい坂道
この歌は特に、図書館を組み上げることに力が注がれた歌だと思う。図書館の機能や性質ではなくて、建築的な側面——本棚や本や階が垂直的に積み重なっていること、バリアフリーのゆるい坂道といったやや水平方向の把握——が前面に押し出されている。主体は図書館を「明るくて」と把握するが、そこに屈折はない。明るいのはたぶん、場の機能によるものではなくて、あくまでも視覚的な水準によるものだと思う。
唇を重ねて笑うこともある 段々畑が広がっている
唇を重ねて笑う主体/君の奥に、唇のようにも見える段々畑が広がっている。段々畑の広がっている感じもまた、すごく奥行きがあるが、それはやはり、唇を重ねて笑う人間が前にいるから、段々畑の景がより奥に見えるのだろう。形状と奥行きに注目して読みたくなる。
恋人とふたり卵を溶いている夏の日の暮れ 細長い窓
表題歌もまた、キッチンを描きながら、ふたりの姿を前に置くことによって、空間の奥行きを描いている歌として位置付けられるだろう。ふたりで卵を溶いているという光景にスポットライトが当たったと思ったら、そのキッチンにある光の具合——たぶん、屋内の照明はついていなくて、少しずつ暗さを感じているのだろう——を描き、細長い窓が結句に置かれる。奥行きとともに、細長い窓という垂直方向の効果を加えることによって、立体的となった景が組み上がっていく。空間を閉ざしつつ、その奥を予感させる窓。その窓をあくまでも視覚的な水準で見せるところに作者の巧みさを感じた。
根をもつこと
哲学書を詩のように読んでいる。難しいことばの並びを、筆者の意図通りに「正しく」受け取ることは、ひとつの喜びであろう。しかし、ぼくは研究者ではないから、ぼくにとって重要なのは、その人それ自体の思想ではなく、ぼくがどう引き受けるかである。哲学書を読んでいると、ひかる一節があり、それを、ぼくは手でなぞり、感触を確かめては、神経を通じて頭の中に送り込み、プレゼントを開封するように、展開していく。
根をもつこと、それは魂のもっとも切実な欲求であり、もっとも無視されてきた欲求である。/シモーヌ・ヴェィユ『根をもつこと』
ヴェィユのことばは美しく、柔らかく、するどい。聖なるものを感じるような筆致に差し込まれているひかりはほのかで、冬の陽光のようだと思う。
ある土地に根差すことに、ぼくは強く困難を感じている。ぼくは何年かおきに住む土地を変えざるを得ない都市生活者の子どもであった。都市という無機的な空間は、想像を膨らませれば、多くの人のはたらきによって成り立った巨大なシステムであり、そこに美があるのだが、小さいころの想像力は、生まれ落ちたこの空間を当然のものとしてみなしてしまう。都市に根差すことは可能だが、困難だ、そこにある経済史的な回路を掴むために、いくつもの迂回をしなければならない。
それでもヴェィユが言う通りに、魂のもっとも切実な欲求を満たすために、ぼくが根ざしたものは、物語であった。家には大きな本棚があり、ぼくはそのひとつひとつを繰り返し読んだ。あるいはぼくが根ざしたものは、言語であった。日本語というゆたかな言語で聞き、読み、書き、話すことに根を下ろしていた。それは一つのシステムであり、一つの記憶だ、と思う。
根差すことについて。たしかにそれは土地を想起させることばだが、土地のもつ隠喩が、ぼくたちをさまざまな主題へと接続させてくれる。そしてこの語の重要なニュアンスは、その土地ないし主題を見ることでも、知ることでもなく、根ざし、そこに留まることに重きを置いていることである。つまり、その主題とつながっている、その回路そのものの喜びを、魂のもっとも切実な欲求として浮かび上がらせることに、ヴェィユのテクストのひかりは向けられている。
根をもつこと、その語の持つゆたかな響きをぼくは信じる。繋がりを求める時代において、よりしずかで、より深く、より聖的に、生きることの美しさを捉えたことばだと思う。
『ドライブ・マイ・カー』雑記
tankaと短歌のあいだ
読みが外れた、黄泉の国
『ロリータ』感想:サーブの小宇宙
我がロリータには、ゆったりと弾みをつけてサーブを開始するとき、曲げた左膝を上げる癖があり、そこで一瞬のあいだ、爪先だった脚と、まだ毛もほとんど生えていない腋の下と、日焼けした腕と、後ろにふりかぶったラケットとのあいだに、いきいきとしたバランスの網目が陽光の中で張りめぐらされ、彼女がにっこりして歯をきらきらのぞかせながら上を見上げると、高い天空には小さな球体が宙に浮き、そこは金の鞭で快音響く一撃を加えようという特別な目的で彼女が作り上げた、力と美にあふれる小宇宙なのだ。/ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』(若島正訳):410-411.