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なんか書いたやつ

『ドライブ・マイ・カー』雑記

 『ドライブ・マイ・カー』(アップリンク吉祥寺)2022/02/04
 濱口竜介監督 
 
 
 
 素晴らしかった。多くを語る気にならないが、少しだけ書く。(ネタバレ注意)
 
 
 
 
 
 ◇沈黙のこと
 家福は黙り込むことが多い。あるいは、慎重に言葉を選んでいるように見える。高槻から車中で音の話をされるシーンで、ぼくは「黙れ」と言いたくなった。しかし家福はその方向性を取らない。まるでじっと耐えるように黙り込んでいる。
 黙る家福を、ぼくはセクシーだと感じる。家福は実際は黙ることが好きなだけかもしれない。しかし、多くを語らない姿は、その胸中に降り積もる雪のような何かを想像させ、人間の深みを勝手に感じ取らせてしまうような感じがする。
 「沈黙は金」とユンスが言うことや、無音のシーンに、ゆたかなものを感じる。
 
 
 ◇コントロールのこと
 家福は極めて自分をコントロールしている印象がある。動揺を隠し、にこやかに監督を続ける姿は、喪失という大きな主題の中で生きる人間の一つのあり方かもしれないが、それ以上に、家福の持つパーソナリティが大きいような気がする。沈黙と抑制のなかで、彼はほのかに輝く。
 運転とは抑制そのものだ。
 
 
 ◇触れること
 この映画に限らず、人が人に触れることをよく考える。言語に還元できない触れることによる何かが伝わることについて。音が家福の手を触るシーンを見るときに、そこには多義的なメタファーの匂いが読み取れるだろう。意図が不明な身体感覚の言語が、何をもたらしているのだろう、と考える。
 
 
***
 
 
 ぼくも友人を喪った後の世界を生きているが、それはある意味で人殺しの物語を生きることだったのだと思う。ペーパードライバーを卒業し、ぼくも自分の車を運転したい。
 
 今夜は同じ監督の『なみのこえ 気仙沼』を見に行く。