なぞる

なんか書いたやつ

卒論、あるいはそれに紐づくものごとについて

 今日、卒論を出しました。よくわからない卒論ですが、概要などを書いておこうと思います。もし万一本文を読みたい方がいらしたら、連絡をください。
 
 「読書会のエスノグラフィ的分析」というタイトルで書いていたので、自分が社会科学関係、特に医療社会学や障害学について勉強していたことを知っている方からよく驚かれましたし、自分の所属するコースの中でもよくわからないことをしていたので、「何それ?」みたいな顔をよくされました。(実際、自分もよくわからない卒論を書いてるなあ、と思うことがありました。)
 
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 読書会研究に関しては、英米圏の文化社会学周りでいくつか行われています。特に、邦訳されているものだとエリザベス・ロングの『ブック・クラブ——アメリカ女性と読書』があります。これは、主にジェンダーを中心とした読書会の分析ですが、共同で本を鑑賞する営みの良いエスノグラフィにもなっています。エスノグラフィとは、民族誌のことで、元々は文化人類学の、異文化の記述を指す用語ですが、最近では異文化に限らず、文化や組織の記述を指すものとしても用いられている研究手法です。ぼくの卒論もそういった研究に位置付けられます。
 
 先行研究をまとめるとともに、自分でも調査を行ったのですが、そこではレイ・ブラッドベリの『華氏451度』という小説の読書会の様子を録音し、その会話を主に分析しました。あるいは、読書会の参加者にインタビューを行い、どのような意味づけがなされているかを分析しました。
 
 そこで気づいたのは、読書会の様子は多様なのにもかかわらず、参加者は同じような意味づけをしているという問題でした。「読書会によって得られるものはありますか?」のような抽象的な質問を行うと、参照するものが自分の記憶しかない語り手は、聞き手が言って欲しそうなことを回答してしまう、という問題がありました。インタビュワーとして熟練していれば、そのような問題は回避できるのかもしれませんが、ぼくの力量では、ティピカルな回答しか返ってこなかったのです。
 
 そこで、読書会の会話を文字起こししたものを相手に見せ、自分と一緒に分析し、その様子をさらに録音することにしました。つまり、ぼくのしたことを、参加者にも行ってもらったのです。自分で行った会話でさえ、もう一度確認してみると様々な気づきがあります。その気づきを生産する過程を記述することによって、もともと持っていた読書会像と、新しく獲得した読書会像を確認することができました。
 
 この部分が最も面白い部分でした。語り手をただ情報を提供する存在ではなく、情報を分析したり、解釈したりする存在として位置付けることによって、情報生産論としても読むことができると思いますし、これはもしかしたら他のトピックに関してもできるのではないか、と考えています。
 
 
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 このような論文が、自分の大学生活とどう結びつくかというと、まずは後期課程になって先輩と雑誌『現代思想』を読む読書会をしたり、短編小説を読む会を開いたりなど、実際に自分が読書会なるものに参加して楽しかったことや、ゼミなどで一つのテクストやトピックについて語ることがとても楽しかったことがあります。大学はぼくにとって、一人で学ぶ場所ではなく、様々な価値観を持つ人と語り合いながら学ぶ場でありました。それは時に、学問的なトピックを離れ、プライベートな話を交わす場でもあリました。ぼくにとって、大学はそのような「おしゃべり」の場であったと思います。
 
 とにかく演習形式の授業の多いコースだったので、お互いの解釈を話し合うことがとても多かった大学生活でした。さらに、去年からは短歌を詠むようになり、歌会でテクストの共同鑑賞をすることが増えました。読書会を記述することは歌会を記述することとそう遠くないでしょう。そういう意味でも、この論文は自分の大学生活と紐づいています。
 
 医療社会学・障害学への関心は、そもそもが「異なる」身体を持つ人の語りを聞くことに紐づいた関心だったので、質的な関心という意味ではそこまで遠くないと思っています。さらに言えば、ピア・グループや当事者研究でなされていることはまさに、自分や仲間の語りをともに解釈する営みと言えるかもしれません。ゼミで障害のある人の話と語るとき、ぼくらはある意味で本を読んでいたのかもしれない、と思います。
 
 
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 これで卒論としては終わりなのですが、医療社会学周りで「優生学/優生思想」の近年の言説の分析をしたいと考えているのと、インタビューにおける詩や比喩についてにも関心があり、その辺りもまとめてこのブログで発表できればと考えています。
 
 卒論に協力してくださったという意味では、データを提供してくださった方々がもちろん中心なのですが、以上のような意味では、大学をともに過ごした方や、歌会でご一緒した方が、ぼくのアイデアを支えてくれたと思います。ありがとうございました。