なぞる

なんか書いたやつ

ぐるぐる

 電車の中であくびをする。ああ、ねむたい。涙を拭きながら車内を見渡すと、見知らぬおじさんもあくびをしている。きっとあくびがうつったのだろう。ふふ、全く知らない人のあくびにつられてしまうなんて、人は案外もろいものだ、なんて考えていると、さっきよりも大きなあくびがしたくなってくる。これはぼくが眠いからなのか?それとも、おじさんのあくびがまたぼくに戻って来たのか?どっちなのだろう。どっちでもいいけれど。


 他人の動きにつられて、自分の身体も同じように動いてしまうことがある。たとえば、笑い声を聞くとなんだか笑ってしまったり、緊張している人を見るとこっちまで緊張してきたり、早口な人と会話をするといつのまにかこちらも早口になったりする。


 あるいは、誰かがぼくに幸せな経験を話してくれると、ぼくも自分のことのように幸せな気持ちになるし、しんどかった経験を話してくれると、ぼくもしんどくなってくる。その人の痛みを感じることは、決してできないのだけど、想像するだけでも泣きそうになってくる。


 このような自分のパーソナリティを、共感性が高い、と言い換えることができる。あるいはもっと素朴に、やさしい、と言ってもいいかもしれない。

 


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 ある日、友達が風邪を引いていて、たまに咳が出てしまうような容態だった。友達の咳が出るたびに、ぼくはとても心配になる。大丈夫かな、辛そうだな、そう思うから毎回毎回「大丈夫?」と声をかけていた。すると、「げんくん、それうざいからやめてくれない?」と言われた。咳はそんなにしんどくないのに、ぼくがしんどそうな顔をしているので、しんどいふりをしなきゃいけない感じがして、うざいらしい。


 それはそうだろうなあ、申し訳ないなあと思って、「ごめん」と謝ると、「いや、それが嫌なんだよ」と言われ、また反省して、「ごめん」と言いかけたところで、なんだかおかしくなってきて、笑ってしまう。ぼくが笑い出すと、友達も笑い出す。友達が笑っているのがおかしくてぼくも笑う。


 共感とは、相手の感覚を自分のことのように捉えてしまうことだけど、相手の感覚とぼくの感覚は当然違うから、それは時には相手を不快にさせてしまう。コミュニケーションをとって相手の感覚に迫る前に、ぼくの身体は勝手に相手の痛みを感じとってしまう。それは、単なるぼくの解釈した痛みにすぎないのに。

 


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 暗い話を打ち明けることが苦手だった。自分のしんどいことを誰かに話せば、その人が暗い気持ちになってしまうから、相手を傷つけているような感じがして避けていた。ひとりで抱え込むことに限界を迎えてなんとか友人や親に話してみるけれど、やはりつらそうな顔をしてぼくの話を聴くから、さらにしんどくなってしまって、混乱して、ぼくは涙があふれて止まらなくなる。涙を流すのは、しんどいのもあるけれど、感情をうまくことばにできないからなのだけど、涙は「しんどさ」の表象として映るから、相手はますますつらそうな顔をする。ぐるぐる。このしんどいぐるぐるを止めるために、ぼくは自分の気持ちを押し殺す。ぼくが泣いていると、相手が傷ついてしまうような気がするから。


 一生懸命ぐるぐるを止めようとすれば、なんとかその場では止まる。相手は安心したような表情を浮かべるから、なんとなくぼくも安心できる。しかし、誰にも話せない話は、心の底で澱のように溜まっていく。悩みはひとりでに回転し始める。たとえばぼくがしんどくなって自ら命を絶ったとしたら、相手は「あの時ちゃんと話を聴いていればよかった」と自分を責めてしまうかもしれない。それならばこのしんどい気持ちをちゃんと共有しないといけないのだけど、共有すること自体が相手を傷つけてしまう気がする。どうすればいいんだろう、、、終わりのないこのぐるぐるをどうにか止めようと、ぼくは考えるのをやめようとする。感じることをやめようとする。ベッドに入って眠ろうとする。しかし、眠れなくなってまたぐるぐるし始める。誰か、このぐるぐるを止めてくれ!

 


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 共感的であることは、相手を不快にさせてしまうこともあるし、自分を苦しめてしまうこともある。だから、ぼくは共感的であることをずっとやめようとしてきた。誰かに「やさしい」と言われるたびに、褒め言葉とは思えなくて、もっと感じないようにしなければ、と思ってきた。


 最近、少しずつだけど、自分のこの性質が好きになってきた。それは、ぼくと同じように(あるいはぼくより、もっと?)生きるのがしんどい人と、つながることができたからだ。お互いにつらかった経験や、生活する上でつらいことを分かち合うとき、安心して話を聴くことができるし、話をすることができる。過度に痛がる必要も、無理して我慢する必要もなくて、気持ちよく痛みを分かち合うことができる。相手が安心して話をしているように見えると、ぼくも安心することができる。するとそれが相手にも伝わって、、、幸せのぐるぐるが始まる。

 


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 幸せのぐるぐるを回していければいいな。ぐるぐるはいつのまにか逆方向に回り始めていた。