なぞる

なんか書いたやつ

脳みそとiPhone

1
 
 パソコンに、「sakata」と打ち込むと、勝手に「酒田」と変換してくれる。iPhoneでも、「さ」と打つだけで、サジェスト機能の一番最初に「酒田」が来る。ああ、このiPhoneはぼくの名前のことを記憶してるんだ、と思って、少し嬉しくなる。
 
 
 図書館のパソコンや、知り合いのiPhoneを、ぼくのことばで汚すことはなんだか楽しい。さっきまで「sakata」と打てば「坂田」と出力していたモニターは、いつのまにか「酒田」と出力するようになる。だんだんぼくのことを覚える。iPhoneなら、「さ」と打つだけで「酒田」とサジェスト機能に来るようになる。「こいつにしりとりをさせたら、『さ』で『酒田』と言うのだろう、バカめ」そんな妄想をして、なんとなく笑ってしまう。
 
2
 
 誰かのワーキング・メモリーを支配したいという欲求がある。日常のふとした瞬間に、ぼくのことやぼくの発したことばの断片を思い起こさせたい。もちろんずっとじゃなくていい。ずっとぼくのことを考えている人間なんて気持ち悪いからだ。だけど、本屋に並ぶ『星の王子さま』を見つけたり、ぼくと一緒に行ったことのある場所に訪れたりした時に、ふとぼくのことを思い出す脳みそを少しでも多く作りたい。
 
 ぼくのことを思い出したってなんの役にも立たない。日本史の問題にも世界史の問題にも出てこない。ぼくという情報は(少なくとも今のところ、相対的に見て)無駄な情報だ。こんな無駄な情報でいろんな人の脳みそを汚してやりたい。
 
3
 
 「忘れないで」「忘れないよ」そんなことばを今までいくつ交わしたことだろう。ぼくは小さい頃何回か転校したので、そのことばの薄っぺらさを知っている。寄せ書きに数え切れないほどの「忘れないで」をもらったけれど、ぼくは多くのクラスメイトの顔も名前も忘れてしまったし、あっちだってきっとそうだ。
 
 
 そもそも、「忘れない」という状態が、どういう状態を指しているのかがよくわからない。ワーキング・メモリーの中にぼくがずっと居座る状態を指すのか、「げんちゃんとの思い出」というタイトルで原稿用紙3枚書ける状態を指すのか、それとも「以下の4つの顔から酒田現を選びなさい」という問題に正解すれば良いのか、よくわからない。色んな「忘れない」が「忘れないよ」の中にある。
 
 
  ぼくは、ある友達のことを、忘れないために一生懸命だった時期がある。毎日、お風呂に入ったらその人のことを考えることで、絶対に忘れないようにしていた。脳みその「大事な人フォルダ」からうっかり消えてしまわないように、毎日更新日時を最新のものにした。友達と聞いたらその人の顔が浮かぶように。そんな努力の甲斐なく、今ではその人の顔をはっきり思い出すことができない。もしかしたら「以下の4つの顔」から選べないかもしれない。
 
4
 
 ぼくがもし死んでお星さまになったら、王子さまのくれたこのことばをきみに贈ろう。
 
きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ!
 
 そんなことを言われても、きっときみは星を見てもぼくの笑顔を想像できないんだということを、ぼくは知っている。ぼくだって出来ない。脳みそはすぐに忘れてしまうのだ。どれだけ時が経ってもぼくのことを覚えていてくれるのは、iPhoneのサジェスト機能だけなのだ。ぼくが死んでも、「さ」と打ち込めば「酒田」と返すお馬鹿なこいつが、愛おしくて仕方ない。