なぞる

なんか書いたやつ

コンパ

 
 酔いがなんだか醒めてきたときに、ブルーシートが敷かれたコンパ場をぼんやり眺めるときがある。
 
 
 理性を失った「体」の群れが、本能のままにくっついたり離れたりしている。彼らはもはや「人」というより「体」になっている。体自体が飲み、体自体がコールを振り、体自体が暴れまわり、体自体が吐いている。そんな光景から目を背けたくなる時もあるが、彼らを「人」でないとみなすと、突然その光景は幻想的な美しさを持ち始める。
 
 
 お酒を飲むと色々なことが許されるようになる。秘密を漏らしたり、惚気たり、誰かにベタベタしたりしても、少しくらいならば許される。酔っ払いは「人」ではなく「体」だからだ。理性というブレーキがなくなった「体」を責めることはできない。
 
 
 ぼくたちが何かをすることに臆病になるのは、その意味を過剰に解釈されるからだ。月がきれいだから「わ〜月きれい!」と言うと、夏目漱石のせいで「愛してる」の意味だと解釈されたり、なんとなく話したくなった秘密を明かすと、信頼の証と誤解されたりする。面倒くさくなったぼくらは、誤った解釈を避けるために、いつもと同じような服装でいつもと同じことをする。逸脱は意味を生むからだ。
 
 
 「体」がいくら逸脱したところで、過剰に意味が求められることはない。「体」は叫びたいから叫び、飲みたいから飲み、触りたいから触るのだ。行為から意味が剥がれ落ちて、ぼくたちがなんとなく行動することが許される空間——そこに美がある。アルコールで霞んで見えたけれど、そこには美がある。