なぞる

なんか書いたやつ

読めない

 文章が読めない。文字をいくら目で追っても、目線が文字を上滑りしているような感覚があって、頭に入ってきているような気がしない。頭に入っているような気がする時もあるが、正しく入っている保証はどこにもない。ページをめくりきり、パタンと本を閉じたならば、「この本を読んだ」と言って良いのだろうか?文字列は全て目で追ったつもりだし、ページも飛ばすことなく全て進むことができた。面白いなと感じる箇所があったし、うっとりした表現もあった気がする。知的興奮で心臓の打つペースは心なしか早くなっている。それでも、文章を読んだ気がしない。何をもって文章が「読めた」ことになるのかがわからない。
 
 
 受験では現代文しか得意なものがなかった。作文は苦手だったけど、「読解」ならできた。選択肢はほとんど外さなかったし、傍線部を説明することだってできた。答えは全て文章中にあったから、特に何かを覚える必要もなかったし、傍線部を完璧に説明できたときは、その傍線部だけは「読めた」気がした。傍線部の長さだけ、筆者の脳みそを支配したような気分になった。
 
 
 大学に入って、特に2年生の後期になって、「この本を読んできて」「この論文を読んできて」と言われることが増えた。しかし、「読む」という課題が何を意味するのかがわからない。ページをなんとなくめくるだけでは、授業についていけない。全ての文章に傍線部を引いて、それを全て支配するには時間が足りない。試みたけれど、1ページに5時間かかったので、もう二度とやりたくない。
 
 
 そうこうしている内に、小説や新聞記事でさえも「読めなく」なってきた。最後までたどり着くことはできるのだが、その文章の中身を掴めた気がしない。何をもって「読めた」と言えるのかがわからない。
 
 
 「理解とは何か」がわからない。「文章を理解する」とはなんなのだろうか。仮に理解できたとして、その理解が「誤解」でない保証はどこにあるのだろうか。
 
 
 「理解とは何か」を理解したい。誰か教えてください。仮に教えてもらったとして、それを理解できるかわからないけれど。