きみはかわいい
かわいい、ということばは便利だ。
「あっ、見て、あの犬かわいい」「その服の柄かわいいですね」「〇〇くんってかわいいよね」などなど。
「きれい」は意外と便利じゃない言葉で、そんなに多くの事象を表すことができない。「景色がきれい」とか「発音がきれい」とか、能力的、美的見地から自分より優れているものを褒め称えることばだ。「佐藤さんの家の子ども、3ヶ月になったばかりなんだけど、本当にきれいなのよ」って言ったら、「えっ、何??」ってなるだろう。
対照的に、かわいいは自分より優れていないものも褒めることができる。「方言がかわいい」「髪が寝癖のままでかわいい」とか。
だから、「かわいい」って言葉は手頃で、楽で、ついつい使いすぎてしまうことばの1つだ。「やばい」と「かわいい」と「それな」で大抵の会話は成り立っている。
さっきも言ったように、かわいいは自分より優れていないものも、もっと言えばダメなものも、やさしい眼差しで肯定することができる。子どもがスパゲッティを汚く食べているのも、お母さんにとってはかわいく映る。あいつのダサい服も、きっと彼女にとってはかわいいものに見えている。
かわいいは劣等を肯定することばなのだ。
人というものは完璧じゃない。完璧じゃないどころか穴だらけだ。お腹がすいただけでいらいらする。授業中なのにしゃべってしまう。前の席では居眠りしている子もいる。すぐ嫉妬してケンカする。下心丸出しでデートに誘い、フラれたら「あいつはやばいやつ」とか言う。
それでもきみはかわいい。きみがかわいいのは不完全だからだ。きみが完璧になってしまったら、きっときみは「かわいい」とは言われないんだ。きみがかわいいって言われるなら、きみが穴だらけな存在であることを示唆しているのだ。
ぼくたちはよく、自分を責める。朝早く起きられなかったとき、簡単に取れるはずのフライがミットをすり抜けたとき、テストの点が悪かったとき、仕事で大きなミスをして迷惑をかけたとき。「おれ最低だな」「死んでしまいたい」なんて過激な言葉で。
死にたいなんて言わないで。きみはかわいい。ダメダメだから、かわいい。