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「聞く」の実際。——信田さよ子・上間陽子『言葉を失ったあとで』感想——

信田さよ子・上間陽子, 2021『言葉を失ったあとで』筑摩書房.
 
 「聞く」の実際。
 
 帯に書かれた大きな文字。対談を読みながら、「聞く」ってなんだろうということを、懸命に考えなくてはならなかった。
 
 信田 セクハラや性被害の深刻化は、地震の揺れのようにその瞬間に起きるわけではない。その経験がどのように聞かれるかによって、つまり周囲の誤解と無理解によってどんどん雪だるまのように膨らみ、倍加していく。(14ページ)
 
 ここにも、「聞かれる」ということばが出てくる。この引用文の言わんとすることを、ぼくはわかっているつもりだった。だけど、それはとても、とても重い問題だということに気づいた。
 
 経験を聞くというのが、いかに難しいかについて、この本では何度も、何度も語られる。カウンセリングでも社会調査でも、語り手は簡単に自分の被害を語ってはくれない。対応によっては、語り手をさらに傷つけてしまうこともある。
 
 第五章で信田さんが、「言葉を禁じる」と言っていたのがとても興味深かった。「意志が弱くて」とか「自己肯定感」といった近代に流通している語彙を使わないように語り手に伝えつつ、聞く。聞くということの、能動性や介入性がわかるエピソードだ。
 
 セクハラや性被害をはじめとする、なかったことにされやすい傷を、どう聞けばいいのか。それはもちろんポジショナリティや文脈によって大きく変わってくる。どのような話であっても、こうとしか聞けない、という「聞く」経験を積み重ねていきたいと思った。
 
 坂上香『プリズン・サークル』を観たいです。近辺で上映することがあれば観に行きます。