なぞる

なんか書いたやつ

ことばを話せない

 最近、このブログを褒めてくれるひとがいる。うれしい。
 
 
 大体の意見は要するに「文体が好き」というものだ。ぼくの文章はどうやら詩的らしい。まあおそらくは、つかみどころがない感じがしたり、回りくどい感じがしたりする文章なのだろう。それがたまに誰かのツボに入るらしい。
 
 
 でも、ぼくはこの文章をわざとポエティックに書いているわけではなく、どうにか自分の頭の中に浮かぶものごとをまとめようとしている。頭に浮かんだことばのうち、伝わらないことばをどうにか捨てて、伝わることばを必死に探している。それでも、どうしてもぼくは上手にことばを話すことができなくて、最終的に遠回りばかりの文章になってしまうのだ。
 
 
 小さい頃は、本当にそれが顕著だった。ぼくのことばは全然通じなかった。特にこどもには通じなかった。お父さんは新聞記者で、むずかしいことばを使っていたし、本棚にはむずかしい本がたくさんあった。ぼくは国に興味を持っていて、世界の国旗を覚えていた。
 
 
 だからその頃のぼくの語ることばは、「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」とか「セントビンセント・グレナディーン諸島」とか「オウム真理教ああ言えば上祐」とか、訳のわからないことばの含有量が高かった。ぼくはそういうことばが頭に浮かんで、それを話したいのだけど話せなくて、むずむずしていた(1)。みんなの前でもそういうことばを話したかったから、ぼくは独り言をずっと言うようになった。みんなに通じないけれど、ぼくは「リビアの国旗が緑一色なこと」を伝えたかったし、「カタールの模様が弁当のバレンと同じ形なこと」を話したかった。そういうことを伝えるには、ぼくはあまりにも論理的な言い方を知らなかった。「は」と「が」の使い分けができなかったし、譲歩構文を知らなかったし、因果関係があべこべだった。だから、多分「緑ってリビアだね?」とか言っていた。そんなことばがこどもに通じるわけがない。まずリビアってなんだよ。
 
 
 おとなはぼくを褒めてくれた。「緑ってリビアだね?」はおとなには通じるのだ。「げんちゃんは物知りだね」とか「将来は学者さんかな?」とか言ってくれた。ぼくは自分のことばが通じないことは、ぼくがバカだからに違いないと思っていたから、そのことがすごくうれしくて、おとなが好きだった。
 
 
 それでも、結局のところぼくは決定的なところで、上手に話すことができなかった。おとなも、ぼくをたくさん誤解した。
 
 
 
 小さいときに「子ぎつねヘレンがのこしたもの(2)」という本を読んだ。目も見えず、耳も聞こえない、ヘレン=ケラーのようなきつねを救おうとする獣医師さんの話で、ぼくはすごく感動した。最終的にそのきつねは死んでしまうのだけど、私たちはそのきつねから、一生懸命生きることの尊さを学ぶことができる。ひとと動物の間の友情・愛のようなものを感じることができる本にぼくは涙した。
 
 
 
 おばあちゃんがそんなぼくを見て、「ヘレンは何をのこしたの?」と訊いた。ぼくは「骨」と答えた。おばあちゃんは大笑いして、「この子は理系になるね」と言った。その話を家族みんなにして、ぼくは笑い者にされた。ぼくは感情があまりない人間のように扱われたことが悔しくて、大泣きした。ぼくが言いたいのはそういうことではないのに。ぼくのことばは誰にも通じないのかな、と思った。
 
 
 
 ぼくはこの「のこす」を「残す」じゃなくて「遺す」としてとらえた。「のこす」を能動的な動作として考えていた。動物は、人間とちがって、お金とか家とかを遺すことができない。そうしたら、動物は、お世話になったひとに骨しか遺せないではないか。それはすごく切ないことのように思った。思い出がつまった感謝の品として、能動的に遺せるものは、腐らない自分の骨だけだということが恐ろしいと思った。それでも骨には、きつねの必死に生きた痕跡がたくさん詰まっている気がして、ぼくはその骨を触りたいと思った。
 
 
 自分で書いていて、大人になった今もこの感覚は上手に伝えられないなと苦笑してしまう。まあこどもの頃の感情は因果関係がグチャグチャなまま起こったものだから、言語化することがむずかしい。おそらくいつまでたってもぼくがこのころの気持ちを上手に説明できることはないだろう。因果とは関係なく湧き上がってくる気持ちが、幼いころはたくさんある。
 
 
 ぼくは次第にぼくのことばで話すことをやめた。独り言を話すのは恥ずかしいことだと知り、国旗のはなしは友達の前ではしなくなった。ぼくは友達のことばを使うようになった。「うざい」「きもい」という人を攻撃することばも覚えた。頭にはリビアの国旗を浮かべつつ、テレビ番組の話ができるようになった。ぼくは必死に「ことばが話せる」一般人に擬態した。
 
 
 ウワバミが象を飲み込む絵をおとなに理解してもらえない王子さまの友達(3)と同じように、ぼくは「ぼくのことば」を、「ぼくの世界」を理解してもらえる人なんていないんだと信じていた。ぼくには、ヘレンがのこしたものが骨だとわかってくれる友人がいなかった。だから、ぼくはぼくのことばを殺した。国語の成績が一気に上がって、ぼくは中学受験のとき、ほとんど国語だけで受験を乗り切った。
 
 
 それでも作文のときには、どうにか自分のことばが誰かに通じないかを試した。ぼくのことばで書いた文章はだいたいまるが一つしか付かなかった。みんなは五重まるやはなまるをもらっていた。ぼくの文章には?がたくさんつけられていて、「わかりやすい言葉を使おう」みたいなコメントがついた。ムカついたから、ぼくは平凡な文章しか書かなくなった。
 
 
 ただ、作文を書いたときに、少しずつ自分の気持ちのようなものがまとまっていくものを感じた。論理を理解していくと自分の気持ちをたどることが可能になった。「どうしてぼくがそんな感情を持ったのか」が自分で少しずつ説明できるようになっていった。時間をかければかけるほど、ぼくの気持ちは鮮明になって蘇ってきた。もちろん、それは経験した時とは異なっているかもしれない。因果関係なんて関係なく感情は湧き出すものだからだ。ぼくは経験した感情を自分のことばで反復する遊びを覚えた。ときには日記を書き、ときには自分の部屋でずっと独り言を言っていた。
 
 
 高校1年生のときの作文コンクールで自分の文章が先生に褒められたとき、ぼくはすごく驚いた。「太宰の孤独」と題されたこの文章には自分のことばがかなり含まれていたからだ。確かに、この文章はぼくのことばだけで作ったものではなく、ぼくのことばとみんなのことばを混ぜて書いてみたものだったけれど、文章を褒められたのは初めてに近かったからだ。お父さんにもその文章を見せた。そうしたら、「この部分がいい」と指をさされた。それは太宰治の生涯について解説したものだった。完全にパブリックな、みんなのことばで語られたことばだけが評価されていただけで、そのあとの太宰とぼくを重ね合わせるシーンは評価されていなかった。それでも、ぼくのことばを混ぜたパッケージが評価されることが嬉しくてたまらなかった。
 
 
 ぼくは相変わらず、自分のことばで話すことができない。自分のことばで話すとき、必ず支離滅裂なものになってしまう。だけど、自分のことばと誰かのことばを混ぜれば、とりあえずは意味が通じるものになる。その作業は「書く」という行為を通じてしかぼくにはできない。そのまぜこぜになった、自分の気持ちをただ因数分解してみたようなものが、他の人に読まれて、「いいね」と言われるのが、すごく不思議だし、だけどすごく嬉しい。
 
 
 ぼくの文章は読みにくいと思う。漢字を使いすぎだ。自分の頭から生まれることばは、「断片化」だの「論理」だの「孤独」だの漢字ばかりだ。男性ホルモンのせいだろうか?本当は、綿矢りさとか幸田文とかみたいな、やわらかい文章を書きたい。「僕」を「ぼく」に直しても、漢字含有量はなかなか減らない。豆乳を飲んでイソフラボンを摂取すれば、少しはぼくのことばも通じるのかな。
 
 
 
 
 
 
 
 (1)むずむずする感覚については、次のブログで述べています。

 

 

genlikeapplejuice.hatenablog.com

 

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子ぎつねヘレンがのこしたもの (偕成社文庫)

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 (3)まあ言わずもがなですが、サン=テグジュペリの「星の王子さま」です。内藤濯訳が一番好きです。