なぞる

なんか書いたやつ

なぞる(1) ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語

「なぞる」(1)

ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語

 東進の世界史一問一答を表紙が擦り切れるほどやった。間違えたところにはチェックマークをつけるのが僕の流儀(と呼べるほどのものでもないんだけど)で、例えばダーダネルス・ボスフォラス両海峡が答えのところなんて、チェックマークだらけになって、しまいには文脈なんか無視して「こんなにチェックマークがついているんだから、ダーダネルスだな」なんて何の意味もない勉強をしていた。うん、本当に何の意味もない。

 特に、「この勉強って何の意味があるんだろう」って首を捻りたくなるのが、文化史の勉強だ。僕たちはとってもたくさんの作品と作者名をセットにして覚えなきゃいけない。イブン=ハルドゥーンが「世界史序説」を書いたこと、鄭玄が訓詁学を確立したこと(そもそも、確立なんて何をもって言うのかなんて、僕たちにはわかりはしない。覚えるのはコロケーションだけだ)、「石割り」はクールベが描いたこと、そんなの覚えたところでどうなるんだろう、実際に「世界史序説」を読んで、訓詁学に触れて、クールベの絵を美術館で観て、ってしなきゃ意味ないじゃんか、ってあるクラスメイトが言っていた。確かになあ、って思いながら僕は飽きもせず一問一答ばかりを繰り返し、繰り返しやった。

 一問一答には僕を惹きつける確かな魅力があったのだ。魔力と言ってもいいほどである。それは特に、重要事項よりも「どうでもいい」ことを覚えることに対する魔力だった。ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語をラブレーが書いたっていうのを覚えなきゃいけない、って知ったとき、知的好奇心でも何でもないところで僕は興奮した。自宅の大きな机に座りながら、「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語はラブレー」と叫んだ。何だそれ。こんなの重要度3(この参考書ではマックス)なのかよ。めっちゃ面白い。長くて、声に出すとやけにリズム感がある、変な名前の本を一つ覚えなきゃいけないアホらしさが、面白かった。脳みその中を言葉が回っていく快感。

「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語はラブレー

ラブレーはガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」

 幾度ともなく僕の頭の中を回っていったそのフレーズは、どうやらデコボコしていたみたいで、シナプスを通るとき僕の脳細胞を荒々しく刺激していった。馬鹿馬鹿しくて何回も口に出しては笑った。母さんに何度もルネサンス期の文化のページの所から出題して、と頼み、「ガル・・・」と始まると「はいはいはい!」と手を挙げて、「ラブレーラブレーラブレー」と三連呼した。クラスの仲良しに世界史の問題出して!って言われたら迷わず「ラブレーが書いたのは?」と出題した。ガルガンチュアとパンダグリュエルのことばの響きが面白くて仕方なかった。ラブレーさん、ごめんなさい、僕はあなたの本のタイトルでなんども笑ってました。

 そんなシニフィアンにしか目のない僕のガルガンチュアとパンタグリュエルの物語への偏愛は、いつしかポエジーへと転化した。「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語はラブレー」ってフレーズが愛おしかった。お風呂の中で、寝る前にベッドの中で、口に出して唱えてみると、楽しくて不思議なリズムで気分が良くなった。まるで谷川俊太郎の「いるか」に取り憑かれた小学生のように。悲しいときや辛いときは頭の中でこっそりそのフレーズを呟いた。(そうすると世界は明るく輝くのだ!)持ち歩き可能な詩は、いつでも頭の中で流せるから、小説や音楽よりもずっと便利なことがある。詩を何度も復唱することそのものの中に、快感があることを僕は知った。詩集じゃなくて一問一答集なんだけどね。

 ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語がどんな物語なんだろう、って妄想することも度々あった。僕の頭の中ではガルガンチュアはすっごくマッチョなイケメンで、パンタグリュエルは優しくて頭の回るやせっぽちな小男だった。そして二人で魔物を倒しに行くのだ。実際は、どっちも巨人王で、ガルガンチュアの息子がパンタグリュエルで、第一の書でガルガンチュアが、第二の書でパンタグリュエルが主人公なのだが。しかもこの本は性描写や糞尿にまつわるくだらないエピソードばかりで、笑いによって教会権威を風刺した本らしい。そういう意味で名著だそうで、ルネサンス期の教会から縛られるのを外れて、「人間の」芸術を作り出した、ルネサンスという時節に合った文学らしい。そんなことを知ったのは浪人の秋頃であったけど、その内実もとっても興味深い。笑いによって教会権威を風刺、ふむ。

 ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語、って頭の中で何度も復唱する、あるいは一問一答でその該当部分を指でなぞる。それは祈りに似ている。もはやその本がどんな物語だったかなんてどうだっていい。ガルガンチュアと聞くだけで、校舎の匂い、勉強の興奮、思春期の切ない記憶、そう言ったものがふわっと蘇ってくる。言葉にくっついたイメージは、いつしか自分だけの特別な宝物のようにきらめいていく。祈りのようにフレーズを繰り返す。今何を思っているか、どんな匂いがするか、何が見えるか、そういったイメージをことばにくっつけていく。何度も何度も繰り返しなぞる。僕だけのきらめくことばにする。ことばを自分のものにする、ってそういうことなんじゃないか、と勉強以外にすることもなかった浪人時代、そんなことをぼんやりした頭で考えていた。